この帽子ドイツんだ(後編)



<前置き>

この日記は2003年の7月に、IFESというクリスチャン学生運動の、
世界会議(World Assembly、以下WA)に参加しにオランダに行った時の記録です。
この後編では実際のWAの様子を日記をもとにお送りいたします。
最初の方はやたら長いですが、後の方ほど文章短くなります。


<ワールド・アッセンブリー>


7月4日(金)午後になっても肌寒い

どうやら本気で寝入っていたらしく、40分くらい経って目を覚ました。
正午くらい、さらに20分たって目的地である「デュ・ブロン」に到着。
割と小ぎれいな屋内キャンプ地だ。
ここでこれから一週間弱のワールド・アッセンブリーがはじまるわけである(*1)


<バス到着わらわら>


受付まで時間があるので、先に昼食ということになった。
話しかけてきたボリビア人の男性と昼飯を食べる。
最初「どっから来たの?」と聞いたら「アメリカ」というから、
合衆国だと思っていたが、話がかみ合わないので国を聞いたらボリビアだった。
なるほど、確かに南米もアメリカである。
なんかこう、「お前は『アメリカといったら合衆国』という先入観があるんだぞ」
と言われたような気がした。
あんまり英語の上手な人ではなかったから誤解があったかもしれないが、
彼の話はなかなか興味深かった。
「クリスチャンは多いのですか?」と聞くと、
「いや、最近の調査だと28%くらいが色々な教派のクリスチャンで、
後は全部カトリックなのだ」と言う。
つまり、彼はカトリックをクリスチャンとは認めないぞ、ということが言葉の裏に見えるわけだ。
確かに南米のカトリックは土着宗教と混合してしまっている所も多いと聞いているけど、
僕はあんまり詳しく知らないわけで、興味深い、と思ったのだ。
ちなみに彼はFinancial Seculitery(財務担当主事)だそうだ。
日本のKGK(*2)で言うとY崎さんにあたる仕事だろう。
そういえば雰囲気がどことなく似ていたような…。

食事後、受付に向かう。
出口で大沼さん(KGKの総主事)とバッタリ出くわし挨拶する。
受付自体は割りとあっさりしたもので、名札とかハンドブックを受け取った。
名前とか書いてる時にいきなり日本語で声をかけられた。
白人のおばさんだったので、相手は日本語なのに思わず
英語で返事するこの恥ずかしい条件反射。
なにやら以前に(日本の)関西で奉仕されていたそうだ。

受付を終えて部屋に案内される。
パッと見で「おお、こじんまりした一人部屋?」と思ったが、
狭いのにベッドが四つ。本気で狭いぞ、これ。


<四人部屋>


他の人たちの荷物はあるけど姿は見えないので、
荷物をもって散策に行くことにした。

川のほとりに会場があって、景色がとてもいい。


<川のほとり>


ハンドブック読んで、聖書読んで祈っていたら寒くなったので戻る。

部屋に入ると一人寝ている。
アゼルバイジャンから来たルファトという名前だそうだ。
しばらくするともう一人やって来た。
シンガポールのカオシンという人だ。
二人とも二十代初めの学生だ。

カオシンは去年京都に来たことがあるそうで写真も見せてくれた。
そっち(関西)のKGKの人にも会ったというが、
さすがに僕は知らない人たちだった。
気さくな感じのいい人で少し話をしてから夕食へ。

夕食後、部屋の三人でしばらく少し詳しい自己紹介をしあった。
それからそれぞれで集会の会場に向かった。
開会式が始まる。


<開会式の会場>


600人140ヶ国の参加だそうで、最初にスクリーンで世界各地の
IFESグループの紹介があった。
日本は実はかなり早い時期で加盟している(戦後ちょっと経ってから)。
逆に多くの国が1980年以降の加盟だという。(アフリカ・中央アジアが増えて)

精神的に弱っていたせいか、妙に心に迫る開会式だった。
こう多くのクリスチャンが集まるのを見ると、
なぜかいつも日本の(クリスチャンではない)友人たちの顔や存在が、
心に浮かび上がってくるのだ。それが僕の原点なのだけど。

開会式が終わると速攻戻ってシャワーを浴びた。
混む前に、というセコイ考えで。

*1:「ワールド・アッセンブリーとは?」
直訳すると世界集会となるだろう。
何の世界集会かと言うと、IFESの4年に一回の総会のための集会である。
じゃあIFESって何かというと、International Fellowship of Evangelical Studentsである。
直訳すると「福音的学生の国際的集まり」と言った感じ。
まとめて、あえてごく大雑把に言うと、
「伝道熱意あふれる学生の集まりが多くの国にあって、それぞれがそれぞれでやってるんだけど、
せっかく同じ熱意と目的を持っているわけだし、お互い励ましあいましょうよ、と思った。
だったら4年に一回くらいは会うことにしましょうよ、うんそうしよう。」というわけで世界集会。
*2:「KGKとは?」
どこかの諜報機関のような名だが、実は「キリスト者学生会」のキリスト者(K)・学生(G)・会(K)の略である。
戦後間もなく日本人学生の働きを通して生まれた、知る人ぞ知る日本のクリスチャン学生運動体。
今も(クリスチャン人口の限りなく少ない日本にしてはとても)活発に活動を続けている。
当然、学生運動なので学生がやっているが、活動が大きくなれば成る程、経済面・指導面などなど、
どうしても難しくなるところをOBがOB会を作ってサポートしている。
本文で度々出てくる「主事」というのは、そのOBから来たスタッフのことである。

7月5日(土)曇り、午後から晴れ

朝六時に目が覚める。
カオシンが起きて出て行った。
どうも朝の祈祷会に行くようだ。
もともと僕は行く気なかったけど「一回くらい見ておくか」
と思い何となく行ってみた。
少し遅刻して会場になってる会議室みたいなところに着くと、
部屋はもう満杯で思わず帰ろうかとしたが、既に後にも退けないほど
人が迫っていたので無理やり中に入って座った。

祈祷会は司会者(?)が「〜〜について祈りましょう」というと、
自由に祈りたい人が祈っていくスタイルで進められた。
英語以外にも、フランス語、スペイン語で祈る人々もいた。

部屋に帰って少しウトウトしてから朝食へ。

一人で端っこの席で食べようとしたら、
オランダ人のお姉さんが来たので一緒に話しながら食べる。
医学部五年だそうで、現役学生のグループと一緒にというより、
色々事務的な仕事手伝っているのだそうだ。
「早稲田には集まっている人の半分くらいはクリスチャンじゃないよ」
という話をすると、「そんなこと(求道者が多い)はこっちではないなあ」
と言っていた。
活動も大規模に組織だっているみたいで「どんな働きをしているの?」
と聞かれたけど、「人数が少ないから、みんながそれぞれ色々やるんだ」と答えた。
この質問自体が何かしら大きな違いがあることを示している気がする。

「集会一」に行った。
集会後に小グループでのディスカッションみたいのがある、
と聞いたので指定された場所に行ったけど誰もいない。
ちょっと待ったけど来ないので、川に行って一人聖書を開いた。
ここ最近忙しかったので(もちろんオランダに来る前の話だけど)、
こうしてじっくり一語一語確かめて読むのは久々な気がする。
とてもいい時間だ。


<子供たちは外を駆け回る>


昼食は数人のコンゴ人に囲まれて食べた。
感じいい人たちだったけど発音がほとんど聞き取れなかった。

食後にまた川でグッタリ寝転んでいると大沼さんがやって来た。
何しろ人数が多いので、お互い探さないと見つからない。
わざわざ様子を見に来てくれたようで感謝。
それぞれどんな部屋でどんな感じかとか、
この後行われる総会についてちょっと話し合った。

ということで総会である。
議長と実行委員が前で司会をして進んでいく。
事前に配られた資料と、今回渡された資料(というか議案)について、
説明とか承認とかが進められて行く。
いたって普通の会議。


<総会中>


夕食もコンゴ。

集会場の下でちょっとした本の売り場が用意されていたので、
キョロキョロしてから本を一冊買った。

夜にも集会が一つある。
World and Word という集会で、毎回世界各地のスピーカーが話す。
今回はその一回目でメッセンジャーの女性がゼカリヤから話した。
アメリカのイラク戦争非難とかもさり気に入っていた。

続けて Regional Meeting がある。
東アジア、中央アジア、アフリカ、南米、ヨーロッパ…と地域ごとでの集まり。
それぞれの短い挨拶の後に幾つか報告があった。
1.EARC(東アジアの全体集会)中止についてのマレーシア(開催国)
からの報告。(なんでかって言うとSARSですよ、あの時期だったんですね)
2.カンボジア(確か)でのイスラム・カウンセレーションについて。
3.東アジア地区でのEARC以外の集まりについて。
4.モンゴルでの活動報告(今すんごい勢いで活動が始まっている)
…などなど(途中でトイレに行ったので後は知らない)。

そんなこんなで一日終わる。盛りだくさんだ。

7月6日(日)オランダ天候

朝食をとって早速礼拝集会に行く。
聖餐式があった。いい礼拝だった。

集会後スモールグループがあった。
昨日僕が去った後にみんな来たそうで、
僕はタイミング悪かったらしい。
オーストラリア、デンマーク、アメリカ、シンガポール他、
まあとにかく7人のグループであれやこれや話を分かち合う。
みんなの英語が早くて僕はついていくのが甚だ大変だった。


<(他の)グループの様子>


午後はランドリーに洗濯に行った。
部屋に戻るとルファトが暇そうなので少し話をする。

アゼルバイジャンはしばらく前まで公然と迫害があったそうで、
meeting(多分礼拝みたいなものと思う)中に逮捕されるなんてこともあったそうだ。
教会では今は英語のクラスを開いて、仲良くなった人に聖書の話をしたり、
友人や家族を誘ったりして、少しずつ成長しているのだそうだ。
彼自身、ソ連崩壊後に両親が職を失い、文字通り明日のパンにも困ったとか。
そこで母と自分が教会に導かれ、その後すぐ職が見つかってすごいびっくりしたんだとか。
国の人々は皆「自分は(ウチは)伝統的にムスリムだ」と思うが、
実際自分がクリスチャンになって調べると、例えば使徒2章に出てくるイラクとかの辺りは、
今のアゼルバイジャンも含むそうで、町のはずれの丘の上には今も古い教会跡があるし、
本当はクリスチャンも住んでいた土地だったんだとか。
他にもホントに色々と話を聞けた。

僕の方も自分の目で見た日本の様子とか自分のことを話して、
最後にお互いの言葉で祈りあった。

夜は分科会みたいなものがあった。
僕は「宣教と社会正義」という主題のに出た。

7月7日(月)晴れ!

一日中晴れ。外で日向ぼっこしてると暑いくらい。


<晴れ>



朝食でギリシア人の学生と同席になった。
話の中でギリシア語について聞いて面白かった。
現代ギリシア語とコイネー(新約聖書の頃の標準ギリシア語)は、
比較的似ているんだそうだが、「パウロとは話せないの?」と聞くと、
「うん、無理」ということだ。
聖書も二つ(現代&コイネー)並べて読むと興味深いらしい。
ギリシア語をギリシア語に訳すというのも面白い話だ。
…日本で言うと古文のテストみたいな感じかな?

朝の集会のスピーカーはやたら声のでかい人だった。
フランス語だったので英語のヘッドフォンをつけて聞いた。
そう、英・仏・西語の各同時通訳ブースが会場にあって、
自分にあわせたヘッドフォンを選んで付けられるのだ(日本語ないけど)。

集会後に隣に座っていたオランダ側スタッフのアジア人が声をかけてきた。
話したら日本人だった。
アメリカの大学院にいる頃クリスチャンになって、
オランダで博士をとってから、今はアムステルダムに住んでいるそうな。
ちなみに奥さんはオランダ人だ。色々情報交換してみた。

今日はキャンプ地内にオランダ風バザールが用意されていた。
小さいやつだけど、何だか楽しい気分になった。
お土産ちょっと買ってみたり。


<バザール>


分科会は内容忘れたが何かに出た。
でも途中で寝てしまった。
オクスフォードの教授さんの話だったが、
なんかこう英語で(アメリカで)勉強するのが本気で不安になってくる。
分からないんだもん。(*注:留学前の話ですから。)

夜は部屋で昨日のルファトにつづき、カオシンと話をした。
今回もお互いの国のKGKや教会のことや、
個人的な課題を話し合って祈る時間をもった。
うん、とても恵まれた時間だった。

7月8日(火)晴れ

今日は一日の大半をさいて総会がある。
とはいえ今回は会議的なものではなくて、
これからの四年間の活動を個々人が考えることで、
IFESをより身近に感じてみよう、みたいなものだった。

具体的に言うと、数人のグループに分かれて、
お互いの意見を話し合ってまとめてみたり、
それを絵なり寸劇なり何でもいいから表現してみたり、
とまあ学生も主事も一緒に楽しくできるようにという工夫もされていた。
大沼さんも(僕とは違うグループだけど)妙な寸劇を一緒にやっていた。
面白かった。


<例えばこんな感じ>



7月9日(水)晴れ

何しろ眠たい。旅の疲れが出てきたらしい。
昼に聖書を開けようとしたけど、そのまま寝てしまった。

総会も終わって、ほとんどのプログラムも終わりだ。
のんびりした一日が過ぎていく。

スモールグループもみんな感じよかった。
相変わらず時間にルーズだけど。

昼ご飯は大沼さんと食べた。
それぞれ色んな人に会う機会があったので、
実はあんまり話す時間は今までなかった。
日本の福音派のこととか、国際結婚とか、
長い展望での日本の福音宣教とか、
大沼さんの見習い神学生時代の話とか、
結構色々と話した。
明日の予定を確認して別れた。

夜もベッドと一体化するようにして寝た。眠い。

7月10日(木)晴れ!!

オランダ滞在最後の一日。

朝の集会では笑っちゃうほど長々と"Thank You"を、
色んな人にやった。(スタッフ、議長、メッセンジャー、etc...)

昼の自由時間をつかって大沼さんと、
キャンプ場の隣町ダルフゼンまで自転車で行った。
ちなみに↑の「長いサンキュー時間」は「あれはすごかったよね〜」
とやはり話題になった。これは日本人だけの感覚なのか?
いや、普通に考えてもあれは長かったはず。まあいいけど。


<自転車で走る>


ダルフゼンでそれぞれお土産を買った。チョコとワッフルと首枕ぬいぐるみ。
何しろキャンプ場はとてつもなく田舎の森の中にあるので、
お土産買うような所は全然なかったのだ。

キャンプ場への帰り道。牛が道を横切るので渋滞した。


<牛渋滞>


最後の集会後、全員に配られたプレゼントをもらって部屋に戻った。
あけてビックリ!なんとレンブラントの「放蕩息子」のコピーポスターだ。
例のナーウェンの本「放蕩息子」は母にあげようと思っていたので、
ちょうどいい、一緒にあげることに決めた。

7月11日(金)晴れ

オランダより帰国。
帰りの飛行機出発時間を二人して勘違いしていて、
危うく乗り逃しそうになった。
ギリギリで気づいて行き帰り両方で失敗は免れた。

そんなこんなで旅終わる。

後日談

キャンプの途中から「へそ」に何かできものができてた。
何だろこれ、とは思ったけど小さかったし無視してた。
日本に戻ってからふと見てビックリ。

でかくなってる〜。

大豆くらいの大きさになっていたのでさすがに焦った。
慌てて病院に行ってまたビックリ。

医者(女性):最近山とか行きました?
しょんぼり:…いや、オランダの森の中にしばらくいましたけど。
医者:ああ!なるほどね〜。
しょんぼり:あの…?
医者:これ、ダニですね〜。
しょんぼり:え?
医者:ダニです。虫の。
しょんぼり:…あの、そんなことってあるんですか?
医者:ええ、日本でも山とか行くと食いつかれることありますよ〜。(ほがらかに)
しょんぼり:はあ。
医者:でも随分大きくなりましたね〜。さすがオランダ。ダニも大きい。

いや〜、どうなんだそれ。

結局、頭が食い込んでいたらしく(キモクてごめんなさい)、
少しだけへその部分切って(麻酔までして)取り除きました。
二週間くらい動くたびかなり痛い思いしました。
お腹の手術した人の痛みを少しだけ理解しました。

おそらく5日の川で寝転んでた辺りでやられた気がする。
いい経験したわ〜。

おわり



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