生きているって素晴らしい



<前置き>

2003年12月27日から2004年元旦にかけて、米国イリノイ州Urbanaで、
Urbana03というクリスチャン学生の宿泊型集会がありました。
この日記は基本的にその参加日記なのですが、まあ途中から体調崩して、
本来の趣旨とは違う恵みを受けて帰ってきたので、
Urbanaレポートだと思って読み始めると、
「なんだよコレ」と思う内容なのでゴメンナサイ。
笑っていいのか、マジなのか、微妙な日記になっていますが、
もう思うがままに笑ったり、涙したり(←できない)してください。

<1日目>2003年12月27日(土)晴れ

朝早く起きて、義姉トモちゃんが昨日仕込んでいてくれたおでんを食べて家を出た。
兄ジョウの運転でニューアーク空港へ。
年末はテロの可能性が高いというので空港のチェックは特に厳しいらしく、
3時間前に入るといいよという話を聞いていたが着いたのは2時間半前。
でも朝早かったので、全然待つことなくチャックインした。
うとうとしながら飛行機で2時間、シカゴのオヘイア空港着。
しばらく空港内を徘徊して、シャトルバス乗り場を見つける。
バスに乗ること1時間半、Urbana03の会場であるイリノイ大学のキャンパスに着いた。

さすが2万人の参加者をさばくだけあって、受付の建物からしてやたらでかい体育館。
今日は朝からこの体育館に次から次へと人が来ているのだ。

受付を宿泊場所の大学寮の一つに行く。
キャンパス内はUrbana専用のバスが会期中は運行されている。
それに乗って5分ほどでつく。
荷物置いて、夕食とって、早速オープニング集会へ行く。

集会場は大学のスタジアムだった。
入場にも荷物チャックがあり、ワールドカップの試合見に行った時を思い出した。

中に入るとすでに始まっていた。
コロシアム型のスタジアムだ。
賛美チームが真ん中で音楽をリードしているが、その中央舞台が遠い。
そして、まわりには二万人。
かなり壮観な図だった(万単位のコンサートに行った人なら想像つくだろう)。

 →  → 
<順番に、人が入ってない状態の会場、賛美中の様子、メッセージ中の様子>


ただ、一つ残念なことがあった。
メイン説教者の一人のジョン・ストットが体調不良で参加しないそうだ。
もう、めちゃめちゃ残念だ。
アナウンス聞いた時の僕の背景には「がっかり」という字が出ていただろう。
僕のUrbana参加の主な動機は「1.二万人の集会ってどんなのか見てみよう」
「2.ジョン・ストットに会ってみよう」だったので一つおじゃんになってしまった。
でも82歳の人だし、この熱気の中に来るのはそりゃ体に障るだろうな、と思う。
気を取り直して行こう。

開会式もかねていたので、内容は「わー、はじまるぞー」とそんな感じだった。

集会後、さらに宿舎に戻って、日本人集会があった。
200人強の参加だそうで、アジアからの参加者では一番多かったらしい。
日本の大学時代の友達アヤカちゃんにも会った。そういえばカナダ留学中だった。
あと、妹と同じ大学の人にも会った。
(といっても遠くから見ただけで、実際には話していない)

なんか、ドキドキして何がなんだか分からない間に一日目が終わった。

<2日目>2003年12月28日(日)晴れ

日曜礼拝と名づけられた集会はないが、毎日二度の全体集会があり、
この日はさらに留学生集会も会ったので十分だ。

さて、この留学生集会は長い歴史を持つUrbanaで、今回はじめての企画だ。
北米で勉強中の留学生だけのための集会。
面白いことに、Urbana参加者全体を見回すとアングロ系(白人)アメリカ人が圧倒的に多い。
それに対して、この留学生集会は世界各国からの参加者なので変化に富んでいる。
集会の雰囲気自体も、全体集会とは少し違った。
人数が違うというのも大きな理由だろうけど、それだけじゃない気がした。

ちなみにこの集会もホントはジョン・ストットの講演のはずだった。
いや、もう気にしてないけどね…。

夜の全体集会は、「罪の悔い改め〜心の偶像を捨てましょう」といった感じの内容だった。
内容はとてもよかった。
僕も大学時代で一番大きな出来事は罪の明確な認識であったし、
それが人生をゴロリと動かしたのを今でも鮮明に覚えているから、
これを通して参加者一人一人に転機があるといいな、と思った。
もちろん僕自身にもいい機会になった。

それとは別に、この集会辺りで徐々に雰囲気というか、全体像みたいなものを冷静に分析しはじめた。
全体的にTVショーっぽく、僕の感覚ではちょっとウザイ盛り上げ方というか、表現が多い。
なぜだろうと考えてみて三つ思い浮かんだ。

1.三年に一回の大イベントなので、お祭り的な要素があるから。
2.大規模集会なので、こういうやり方が適しているから。
3.アングロ系アメリカ人の文化。

多分どれも当たらずとも遠からずだと思う。
特に「3」を強く感じた。
これはこれでいいのだけど、多分日本で同じ規模のことやるのだったら、
きっと違うやり方になるのだろうな、と思い、「アメリカと日本には違いがある」
という当たり前のことをすごくはっきりと見たような気がした。

この日も、集会後にさらに日本人集会があった。
「帰国してからの信仰生活」みたいなことをやる予定だったらしいが、
全体集会を受けて、それを分かち合う時間に変更された。
思い切った素晴らしい判断をするな、と思った。

数人のグループに分かれて話したんだけど、僕のいたグループは、
僕含めて四人で、うち二人は日本からこのために渡米して参加しているつわものだった。
グループで話し合った後、日本から来ている人たちでないもう一人の男の子と場所を変えて話した。

個人的な内容も含むのであんまり詳しく書かないけど、
聖書を個人的に読む時間を作った方がいい、という話をした。
それから、彼は現在、数万規模の教会に通っていて、
「普段こんな感じ(Urbanaみたいということ)ですよ」と教えてくれた。
なるほどぉ、そうなのか、と思う。

夜、部屋に戻ると既にルームメート二人(中国人とインドネシア人)は寝ている。
仕方無しに、聖書を持って祈って読むことができる場所を探して放浪する。
人の減ったホールでやることにするが、「あ〜、他の場所にすればよかった」とすぐ後悔する。
残っていた数人の若者が日本人だったので日本語の会話が聞こえてくるのだ。
英語だと集中しない限り意味がわからないから、軽いノイズにしか感じないが、
日本語だからめちゃめちゃ聞こえてきて集中力途切れまくりである。
なんとか終えて部屋に戻ると、すっかり遅くなっていた。
思えばこの睡眠不足が明日の病気の備えだったのかも知れない。


<参加者全員に配られる聖書(!)、しおり、留学生企画用しおり>

<3日目>2003年12月29日(月)晴れ

昨日の朝もそうだったんだが、小グループでの聖書研究がある。
留学生企画参加者たちは、一般参加者と違って、夜の小グループ・ディスカッションがないので、
あんまりグループでの行動には熱が入らない。
しかも、妙に眠いのでなおさらだ。おかしいな。

午前の全体集会を終えて、今日の午後は色んなテーマでのセミナー何かに行ける自由時間だ。
しかし、どうにも眠さがたまらないし、このまま体調崩すとよくないので、
思い切って昼寝の時間にすることにした。

夕食に起きると、…おかしい。
体調があきらかにおかしい。
少し頭が痛いし、僕の長年の病気がち生活からの経験によれば、
これは明日にはマジ風邪になっている症状である。
だが、こういう泊まりものに参加している時は緊張しているから、
多分マジ風邪になるのは期間が終わってからだろうとたかをくくって夜集会へ行く。

メッセージはよかった気がする(もはや記憶が定かではない)。
ムスリムへの伝道に長く携わっていた人のメッセージもあった。
僕にはとてもタイムリーだったのでよく聞き入った。
でも、終わる頃には頭はボーっとし、体中が痛くて座っているのさえきつくなってきた。
終わると同時にバスに乗ろうと外へ出るが、…バスが来てない。
どうやらこれからさらに「ネイティブ・アメリカンのワーシップ」というのをやるらしい。
いや、やってもいいけどさ…、僕は帰らしてよ…。
会場に戻る力がなく、ホールに座り込んで、
会場から聞こえる「ズンドコ、ズンドコ」という音を恨めしく聞くこと1時間近く(なげーよ!)。

やっと終わって部屋に戻ると、水を用意してわき目もふらずに寝始めた。
といっても、体(特に腰)が痛くてなかなか寝られない。
とにかく水を飲んで、朝が来るまで体をできるだけ休ませようとする。
これは明日の日中いっぱい費やさないと治らなそうだ(昼間の方が体調が戻る)。
体力勝負だと心に決めて、文字通り「うんうん」うなりながら寝た。
ルームメートたちはとてもよく寝る子たちだったので、
きっと僕がうなっていたことには気づいていないのが幸いだ。

この日、僕はここ数年間、一日足りとて欠かしたことがなかった、「聖書を読んで祈る時間」を持てなかった。
僕を良く知る人は、それがどれほどの病状のひどさを物語るか分かるはずである…。

<4日目>2003年12月30日(火)天気など分かる由もない

朝、状態は依然として悪い。
正直立ち上がるのがきついが、朝食を取らないと体力がもたない。
寝巻きの上にそのまま服を着て、フラフラと食堂に向かい。
ヨーグルトと何かを少しだけ食べて部屋に戻る。

熱が下がらなくて頭が危険な感じがしたので、
タオルをぬらしてきてのせる。
すぐに乾いてしまうので、飲み水兼用のボトルで水をかける。
留学生企画に参加した人だけに配られる特製ボトルだ。
邪魔だと思っていたが、まさかこんな役に立つとは思わなかった。
横にしてもこぼれない形態がとても便利。


<病気の時に便利なボトル(←趣旨違う)>


この日は、「やる気ある人は一緒に昼食を断食しませんか」と主催者側が提案している日だ。
無論、病気の僕にそんな提案を受けることはできない。
しかし…、結局起き上がることができずに、意図せず強制断食することになった。

うなされながら、ふと思う。
今度から一人で病気に苦しんでいる人にはきっと優しくしてやろうと。

夕方、目を覚ました。
どうやら峠を越えたようだ。

もはや笑い話のようだが、その時の「乗り切った、生きている」という感動は大きかった。

もうすぐ夜の全体集会がはじまるようだが、さすがに二万人の中に行く勇気はない。
そう、人がたくさんいる所に行くのは、弱った人間にはとても怖いことなのだ。

夕食を食べにいく。
肉はとてもじゃないが食べる気がしないが、朝よりは少し多めに食べられた。
(強制)断食の後だからというのもあるだろう、とてもおいしかった。

部屋に一人戻り、昨日読めなかった分、聖書を開いて祈りつつ読んだ。
不思議なほど心に染み入る感じがした。
聖書の中でキリストがこう言っている、
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4章4節)
そう、昨日は聖書の言葉に触れることができなかった。
まさに精神的霊的な(強制)断食状態だった。
このマタイ4:4の言葉がやたらと現実的に身に沁みた。

<5日目>2003年12月31日(水)天気など覚えていない

体力が一時的にかなり削られたので、文字通りふらつく。
朝、僕の体調の異変に今さら(ホントおせーよ、笑)気づいたルームメート達が、
「薬とってこようか?」とか色々気にしてくれるが、後は気をつけて体力を戻すだけなので断った。
いや、一応言っておくが、彼らはとてもとてもいいやつらだった。
僕が苦しんでいる時に寝てるか、いないかどっちかだったので気づかなかっただけで。

さて正直言って、まだ集会に行くのが怖いが、このままで終わるのはあまりにアレなので、
気持ちを振り絞って会場に向かった。
アロハシャツを着た陽気なアフリカ人がメッセージをした。
(僕が見なかったのを除けば)今までの集会で一番聖書にいい意味で執着したメッセージだった。
聖書の神の言葉が、ホントに素直に感じられる。
生きている。
生かされている。
そう感じた。
(笑うのも感動するのも可です。)

帰りのバスで、隣の席の女の子に声をかけられた。
話してみると日本人だった。
一緒に昼食を食べながら、Urbanaの感想とか、色々話した。
中東で育ったらしく、僕にとって初めて会うタイプのバックグラウンドを持った人だったので、
なかなか話は面白かった。
「クリスチャンであること」がどういう意味を持つ環境に育ったかによっても、
(概して)信仰の育ち方とか、強調される部分というのが各々変わってくるのだなあ、と思った。
僕はまだ少しボンヤリする頭で、結局今回も「聖書を(習慣的に)読むようにしましょう」
という話をして終わった気がする。
その大切さを身を持って体験した直後だったというのも思えば大きかったかも知れない。

午後は休んで体力温存しようかと思ったが、どうしてもブックストアを覘きたかったのでがんばった。
もちろんUrbana特設本屋で、関係書籍がずらっと並んでいた。
僕は普段学校で、基本的にリベラルな本を読むことが多いので、
こういういわゆる保守系の本を買ういい機会だと思って楽しみにしていた。
興味ひくタイトルがいっぱいあったので、それでも厳選しながら8冊くらい買った。
あと、今日の午前のメッセンジャーが昨日の朝にやった説教の記録DVDがあったので買った。

ということで、間がガバッと病気のために抜けてしまったが、
ついに最後の集会になった。
最後の集会は、次のような特徴がある。
1.最後の集会である(まんま)。
2.コミュニオン(聖餐式)がある。
3.ニューイヤーのカウントダウンがある。

まあ、お祭り気分もここにキワマレリという感じだった。
別に悪い意味じゃなくて。
みんな元気だなあ…、と遠い目で見ながら、僕なりに楽しんだ。
面白かったのは聖餐式だ。
二万人でどうやるんだろう、と興味があった。
会場の一番底の席に係の人たち(多分それでも200人以上と思う)が座って、
それぞれ、パンとぶどう酒を持って決められた配置へ散っていき、
各エリアで配っていくのだ。
なかなか整然とした動きで、すごかった。

ニューイヤー・カウントダウンはまあどうでもいいね。
「わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」って感じ。
(僕はなるべく体力使わないように「わぁ」って言いました)

明日の午前の飛行機の人は今晩ここを去るそうだ。そのための指示がでていた。
(ちなみに、この指示をだす連絡役の人がオモシロキャラで、会期中の一番の人気者だった)
僕は部屋に帰って寝た。

<会期中に毎日発行される特製新聞(すごい!)>

<最終日>2004年1月1日(水)曇ってた気がする

はっきり言ってUrbana関係ないじゃん!という感じになってしまったが、
違う方向性でとても深く神様の臨在を感じ励まされた。

生き延びた。そして生きている。いや、生かされ養われている!
という絶対にテーマとは違う感動を胸にバスに乗り込んだ。

さよならUrbana、また病気になりそうな気がして、
もう二度と来たいとは思わないけど、とてもいい集会だったよ…。


補足1:その後、兄サカエの家に行き風邪薬を買ってもらい、一日で完治しました。
サカエ家で食べた御雑煮がおいしかった。

補足2:さらに三日後、兄ジョウの家に行くと、甥っ子ウキョウがそっくりの症状で苦しんだそうである。
みんなでニューヨークに遊びに行った時に潜伏期間のあるインフルエンザでももらったんじゃないかなあとのこと。
大いにありえる。

〜おわり〜
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