<前置き>
2005年の5月22日から6月4日にかけてアメリカ中西部に行きました。
学校の必修授業で「異文化交流旅行」というのがあって、そのための旅行です。
ネイティブ・アメリカンの人々の歴史や文化や生活を見たり話を聞いたりしてきました。
ちなみにマザーアース、ファザースカイというのは彼らの世界観。
朝五時起床。
六時にクニシゲさんに送ってもらい空港へ。
ホントに親切な隣人がいてありがたい。
ニューアークから四時間くらいで経由地デンバー着。
デンバーから三十五人乗りのプロペラ機でオークランドへ。
ジャンボジェットに比べて離発着や乱気流のゆれが激しくて、
すごく恐かったし、最後は少し酔った。
ちなみに僕はジェットコースターとかも酔うし恐いから嫌い。
コロラド州オークランドのデゥランゴ空港は小さい地方空港。
降り立って周りを見渡すと空ばかりが見える。
「こういうのに比べたら『NYには空がない』と言われても、
仕方がないのかもなあ」と思った。
昼食を近くのレストランのバッフェで取る。
そして、これから約一週間泊まることになる、
ケリープレイスというロッジキャンプ場のような所に来た。
一応、B&B(ベッド&朝食)という分類の宿泊施設だけど、
今回はここの支配人のジムじいさんが色々案内もしてくれるので、
朝食のみならず三食つきである。
荷物を降ろすとすぐ出発。
ニュー・メキシコ州に入るとまた少し景色が変わった。
どでかい岩やら、地面の谷間やらがそこかしこに見える。
この旅は基本的にフォー・コーナー(四つ角)という、
四州がまたがる土地にあてがわれたリザベーション内を見て回るのだ。*注1
しばらく車で走っていくと、向こうの方に面白い形の岩が見えてきた。
<船岩>
これが、今日訪れるシップロックという街の名の由来の岩だ。
シップロックの教会の夕礼拝に参加した。
当然のごとくネイティブ・アメリカンの教会だ。
この夕礼拝は地元の高校生たちの卒業祝福式も兼ねた、
さらに福音伝道集会も兼ねた、盛りだくさんな内容だった。
礼拝参加人数は五十人くらいだったと思う。
夕礼拝で、二教会合同の礼拝だから普段はどれくらいかは分からないけど。
特別に呼ばれたプリーチャー(説教者)が来ていて、
話の内容はホントに素晴らしかった。*注2
帰りがけにソニックというバーガー屋さんで夕食を買って食べた。
この旅の二週間で僕が一番恐れているのは、
アメリカ人の食生活に合わせて太ることだ。
気をつけなければ…。
*注1…リザベーションとはネイティブ・アメリカン居住区のこと。
フォー・コーナーは、アリゾナ、コロラド、ニューメキシコ、ユタの四州の交わる所。
*注2…もちろんキリストの福音に基づいた話なのだけど、リザベーションに住む人たちの抱えるジレンマや問題にも触れて、天に希望を置いて悪循環から抜けていく励ましをしていた。
いい意味でとてもメソディスト的だな、と思った。(メノナイトの説教者だったけど)
今日の予定は講義が中心なので全部ケリープレイス内だ。
午前中は支配人のジムじいさんの考古学講義。
彼はもともとアイルランド出身の考古学者なのだけど、
なんか色々あって結局ここに住み着くことになったらしい。
ここ、アメリカ中西部のネイティブ・アメリカンの歴史について、
考古学から分かることを色々と話してくれた。
講義の後、ケリープレイス自体が遺跡に隣接しているので、
キヴァという集会所の遺構(復元済み)を見に行った。
地面から掘り下げた遺構で、地上からはしごで下る(内部の写真は26日参照)。
昼ご飯を食べて、裏庭で馬蹄投げをして遊んだ。
引率者の一人で博士課程のカルさんがルールを教えてくれたので、
コリアン・アメリカンの友人アーロンとしばらく熱中。
思ったよりずっと難しかった。おもしろ。
<一投目、まだ投げ方が分かってない>
<点数のつけかた>
<これで一点>
午後はセレモニー・バスケットという、
セレモニーで使う籠(かご)についての、
専門家の女の人が来て講義をしてくれた。
<セレモニー・バスケット>
自由時間中にさっき見たキヴァに隣接する家屋遺構をじっくり観察した。
復元だけど屋根とかは聖書の時代のパレスティナの家屋と基本的に同じ造りのようで、
個人的にとても興味があってじろじろ見て回った。
<右のが復元家屋、左の井戸みたいなものがキヴァの入り口>
夜は昨日の教会についての感想ディスカッションをちょっとやって就寝。
クーラーが効き過ぎで寒い。あんまり調整できないシステムのクーラー。
ちなみに昼間は暑いことは暑いが、乾燥しているので日陰にいれば結構平気。
午前中はネイティブ・アメリカンの男性が来て(*注3)、
南西部のインディアンについて、ということで話をしていった。
午後はシップロックにあるフォー・コーナー伝道事務所に行った。(*注4)
プレハブ作りの建物だったけど中は小ぎれいだった。
代表者の二人が話してくれた。素晴らしい牧師たちだった。
状況的には日本での伝道に少し似ている所もあって、
個人的にもすごく共感したし、力づけられた。
これだけでも来た価値あったな、よかった、と思った。
夜はケリープレイスに戻って「Smoke Signal」という映画を見た。
リザベーションに住む若者の話なのだけど、
これはすごくいい映画だった。
日本語版があるならぜひ手に入れたい。
このケリープレイスでは四人が同じ部屋に泊まっていて、
僕の他にはアーロンとガーナ人のリストウェル、
それからアングロでこの授業を最後に卒業のマークがいた。
リストウェルと今日の午後に行った伝道事務所での話とか、
我々の学校についてや、それぞれの国についてなど色々と話していて、
外に出ていたアーロンやマークも戻ってきたので、
インターナショナルな(?)祈祷会をした。
*注3…ここフォー・コーナーに住む多くはナヴァホ族の人々。この講師もナヴァホ。
*注4…ユナイテッド・メソディストが主導している伝道の事務所。
代表者は一人は白人の宣教師で、もう一人はアズベリー(兄ジョウが出た神学校)卒のネイティブ・アメリカンの人。
午前中はユタ州に入って、岩壁画を見に行った。
<フルートを吹く鹿(真ん中辺り)>
単純な寝不足と高地のせいで眠くて車に乗るとすぐ寝てしまう。
ちなみに車は7〜8人乗りのバンを三台借りて、
各5〜6人ずつ(合計16人)になって乗っている。
僕の乗っている車は僕以外は(ホントに)よくしゃべる白人のおじさんおばさん達で、
僕が寝てようが起きてようが永延としゃべり続けている。
英語なので聞こうとしなければ子守唄にしか聞こえないこの幸せ。
ユタを出て再びニューメキシコへ。
シップロック(街じゃなく岩の方)をはさんで、
シップロック(街)の反対にあるカヤンタという街へ。
ホーガンというナヴァホの会議建物に入れてもらい(*注5)、
ダン・モーゼスというメディシンマン(*注6)から話を聞いた。
とても感じのいいおじさんで、失われつつあるナヴァホの文化の教育に携わっている人。
<これがホーガン>
日本人には分かりやすい感覚だが、ネイティブ・アメリカンの人は順番に話すので、
誰かが話しているときに割って入ったり質問をしたりしてはいけない。
そう前もって言われていたので、普段おしゃべりな人たちも頑張って聞いていた。
でも一番途中で話しかけていたのは、前もって注意していた教授だった…。
その後、街のはずれでフリーマーケットがあるというので見に行った。
まあ何ということはないが、ほんとにまんま地元住民のフリマだった。
太陽が暑いぜ。
帰りがけにモニュメンタル・バレーという、
でっかい面白い形をした岩がたくさんある、
有名な名所に寄って見てきた。
<両手岩>
夜、ケリープレイスに戻って、ナヴァホの踊り手とユタ族のフルート奏者が来た。
パワーダンスとオリジナルのダンスを見せてくれたが、とても興味深かった。
まさに民族芸術という感じだった。
<踊り手たち>
プログラムが盛りだくさん過ぎて疲れてきた。
*注5…中は写真とってはいけないと言われたので写真がない。見た目より随分広い。
中では時計回りで歩いて、女性の席(右、北)と男性の席(左、南)が分かれていてそこにつく。
メディシンマンは真ん中(西の奥)。
*注6…メディシン・マン。薬草師あるいは呪術師といった感じだろうか。共同体では地位が高い、いわばリーダー的な人でもある。
ホピ族のプエブロ(村、集落)の遺跡が集まるメサ・ヴェルデという所に行った。
ちなみにメサというのはテーブルと言う意味。大きな机のような岩場。
かなり高い山というか土地のさらに岩壁の自然にくぼんだ所を使って、
いくつもプエブロが点在している。
<こういう感じ>
レンジャーがガイドしてくれて、舗装はされているけど
それなりにインディアン達の使った道の残っている岩壁を歩いた。
よくこんな恐い(高い)所で生活できたな、と思うが、
まあ慣れるのだろうか。
<こんな感じの崖を移動した>
<プエブロから見える景色>
<キヴァの内部、この上に木組みをして天井を作る>
このレンジャーがいい案内をしてくれたせいかどうか知らないが、
その後は一緒に来たケリープレイスのジムじいさんがやたらと張り切って、
相当暑い中色んな所を見て回ったので、皆バテバテになった。
引率教授のホフマンも七十二歳のおじいさんなのだが、
この二人のじいさんが異様なほど元気いっぱいだった。
夜は旅に来る前に出されていた宿題の読書について、
それぞれ発表しあうと言う時間だった。
もうみんなヘロヘロで自分がしゃべっている時以外は、
ほとんど寝ているようだった。
日ごとに出発時間が十五分ずつ早くなってきている。
おかげで車に乗ってもすぐ寝入ってしまう。
午前中にディネー大学というコミュニティ・カレッジ(地域大学)を訪問。
ネイティブ・アメリカンの世界観・宇宙観についての講義を聴いた。
昼ご飯をはさんで午後三時くらいまで。
帰りにフォーコーナーのモニュメント(四州がまたがる場所の記念碑)によった。
なんてことはない観光場所だった。
夜はプログラムがない。素晴らしい。
ケリープレイスの食事は美味しい。
朝八時に出発。さらばケリープレイス。
ツイン・ロック(双子岩)という所でトイレ休憩。
車にゆられて3〜4時間でチンリという街へ。
なんか気管支の調子がおかしいと思っていたら、
程なく雨がポツポツと降ってきた。
相変わらず気候の変化に敏感な体だ。
すぐ止んだけど、遠くにうっすら虹が見えた。
チンリからさらに一時間半走ってホピ族のコミュニティへ。
ここではカメラを持ち歩くのさえダメと前もって言われた。
舗装のない道をガタガタと進んでやっと到着。
ジムじいさんの知り合いのホピのおじいさんの家に入れてもらった。
きれいな家ではないし(ハエいっぱいだし)、大家族のわりに小さい家だけど、
われわれ来客を暖かく、そして楽しんで迎えてくれたようだ。
僕は子供たちからモテモテだった。すごいかわいい子供たち。
大人になってくるとネイティブ・アメリカン特有の顔が多くなるけど、
子供のうちは日本人やインド人に似た顔の子達が多い。
この迎えてくれたおじいさんは戦争で色々な所に行ったそうで、
日本にも行ったことがあるそうだ。北海道と横須賀(僕の生まれた所)を覚えていた。
あと笑えるのが、(驚くべきことに)今でも覚えている日本語が、
「ありがと」と「ママさん」。
ありがとは分かるけど、ママさんが面白い。
その後、ホピ族の祭りがちょうどあるそうで、とあるメサ(岩場)の上の集落に行った。
いかにもなインディアンの踊りをやっていたし、
同時に集落の若者らしき人たちが司会みたいな役割をしていて、
なんだか日本の地域祭りみたいだなと思いながら見た。
写真で見せられないのが残念。
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