ショリーの遭難


〜本人編(ショリー=しょんぼり)〜


遺跡の中を駆けずり回り,写真を撮りまくっていた日々に比べ,その日は非常に楽な一日でした。
クチャ大寺,土器工房,博物館,故城を見てまわり,昼食。
たっぷりの休憩の後,残るは「のんびりバザール見学」だけでした。

16:00,書店を見てまわる。割と興味深い本があったので4冊ほど買う。荷物は重くなったがすぐ帰るんだし,いいか。

16:21,市場に入る。皆それぞれのペースで見てまわる。女性二人,C氏とG氏はそれぞれ組になって歩いている。僕は一人。宮里氏も一人で歩いていた。とりあえず(僕なりに)ダラダラと一周する。

17:30,飽きる。C氏・G氏ペアはパチモンメーカーの商品を見て,楽しんでいる。女性達の姿は見えない。宮里氏は「飽きた。」と一言残して歩き去った。同感。

17:40,市場の前に出てみんなを待つ。10分ほどして女性二人が現れる。みんなまだだと告げると,「もう少し見てくる。」と言って歩き去った。

18:30,誰も来ない。待ちくたびれたので,一度見てまわって帰ることにする。

18:45,誰もいない。みんな帰ったのだろうか?まあいい。僕も帰ろう。確か後藤さんが「この道をまっすぐでホテルだって。」と言っていた。「うん。この道だ。」歩き始める。

歩き始めて15分。

19;00,畑が見えてくる。ホテルの周りに畑はなかった。ひき返す。

19:20,市場の前に戻る。時間的にもぎりぎり。最悪20:00の食事には戻らねば。まあ,待っていれば誰か迎えに来るだろう。

19:30,誰も来ない。自力で行くしかない。きっと畑を越えたところにホテルがあるに違いない。ていうか,あってくれ。歩き始める。

歩き始めて20分。

19:50,畑を越えると,踏み切りが見えてくる。「何の踏み切りだ!?」
ひき返す。明らかにもう間に合わない。僕の人生であまり味わったことのない感情を抱く。焦り。ニコニコしている少年と笑いあったり。ロバのタクシーのおじさん達に道を聞いたり(知らなかった)しながら市場の前に戻る。
おじさん達はとても親切だった。困っている僕を見て,「連れてってやる。」と言う(あくまでニュアンス,ウイグル語は全然わからん)。でも,ちょっと待て。行き先知らずにどこに連れてくつもりだ。

20:05,道は二つしかない。本屋から来た道と,今行った道以外のどちらかに違いない。
少ない情報を総合し,意を決して一つを選ぶ。
はずれた。明らかに違う。ひき返す。

20:10,オレンジ色のTシャツに,必要以上に爽やかなお兄さんが声をかけてくる。無視。
でも,ずいぶん流暢な日本語だな。「道に迷ってるみたいですね。」と言ってくる。図星。
仕方がないのでホテルの道を尋ねると教えてくれる。いいやつじゃん。
「でも,そこ高いからもっと安いところ教えますねー。」
悪いやつじゃん。どっちだ!?

20:15,市場の前を通りすぎ最後に残った道をトルグォン(中学の先生らしい。日本に留学したいらしい。いいやつっぽいが,最高に怪しい。)と談笑しながら歩いていく。

20:20,一つ目の交差点で後藤さんに見つかり,無事保護される。トルゴォンはなんか色々言っていたが,もう用はない。早く帰ってくれ。さらば,トルゴォン。あなたがいいやつでも悪いやつでも感謝しているよ。

20:27,捜してくれていたC氏,宮里氏,アクバルさんと共にホテルに着く。あ〜,先生に怒られそうだ。どきどきしていたが先生は笑って許してくれた。(あとから聞いた話だが,先生は「いいよ,食べ終わって戻らなかったら捜しに行こう。」と言っていたそうだ。)

こうして僕は,21歳で迷子を経験しました。

おわり




〜ラルゴ編〜


旅にはある程度のトラブルはつきものである。
というよりも、ちょっとしたトラブルは旅をよりドラマティックに演出し、帰ってからの話題となって、人の心に強く残るものだ。
だが、笑い話であるうちはいいが、そうではない場合もある。
『ダルマ』の話を聞いて私はあの時、あの事件が笑い話で済んで本当によかったとつくづく感じたのであった。

5月3日、後藤さん・中條さん・宮里さん・椎名・ショリー・私は、先生方とは別行動をしていた。
旅程はすでに3日目にして崩れており、その日はとりあえず寺院や土器工房、博物館を回ったもののほとんど観光で、いわば消化試合というような様相であった。今から思えば、この中だるみともいえる雰囲気が事件の呼び水となっていたのかもしれない。

ホテルに戻り、先生方と昼食を取った後、16:00ごろ再びバスで出発する。目的地は書店とバザールである。おそらくバザールではぐれることを予想したのであろう、夕食を20:00にとるのでホテルには19:30には帰っているようにと決められた。
書店に入る前か後か、例の後藤さんによる「この道を真っ直ぐ」発言があった。しかし、この時点で、私はそれが間違いであると分かっていた。前日の夜のお散歩で見覚えのある通りや店などから後藤さんのいう「この道」が実際にはホテルの面する通りより一本北側であることに気付いていたからだ。そして、おそらく他の人達も分かっているものだと思っていた。なぜならこの旅行の間、私たちの間では、イリさんとアクバルさんの口調を真似ることが流行っており(ちなみに大ヒットを飛ばした「クズルガハ!」はこの前日のことでした)、「この道を真っ直ぐ」もアクバルさんが言っていたことだった(このあたり記憶が曖昧なため違うかもしれませんが)。

バザールに入り、まず須藤さん(*編注…当時の研究室助手の人)へのお土産の帽子を買う。この時までは6人一緒であった。その後、はす向かいの小物屋で後藤さんと中條さんがナイフなどにハマっていたため、私と椎名は彼らから離れて行動を始めた。ここで躊躇せず離れられたのは、自分が正しい道を知っているという自信があったためである。このままはぐれてしまっても自力で帰ることが出来るという勝算が私にはあった*編注…俺にはなかったよ!

一応、男性4人が見える位置でスカーフやらアクセサリーやらを物色していたのだが、気がつくと彼らの姿は消えていた。一度宮里さんに会い、話をしたがすぐに別れる。話の内容は覚えていない。その後、バザールを端から端まで回ってみた。最初に入った通りを最後まで行ってみた後、中央の布で仕切られた暗い空間を突っ切る。この間、4人のうちの誰とも出くわさなかった。思っていたより妖しげな店が無いことに多少がっかりしながら、スタート地点まで戻ると、縁石に腰掛け明らかに退屈した顔のショリーと出くわす。「飽きた」らしい。やはり、買い物は女の特権。見ようによってはまだまだ面白いところはあるのにと思いつつ、「もうちょっと回ってみる」と言ってショリーをその場に残し、2人して再びバザールの中に戻った。「そういや、アイツは道知ってるのかな」という疑念が微かに頭を掠めた気もしたが、すぐに引っ込む。子供じゃあるまいし、どうにかするだろうと思ったのである。

程なく再び、宮里さんに出会う。宮里さんはショリーのいるスタート地点の方へ向かっている様子だった。ショリーと待ち合わせたのかとも思ったが、私たち2人を見るとそのまま方向を変え、一緒に帰ろうとしている。この時ショリーに会った話も出たはずなのだが、記憶に無い。普通に流していたのだろう。そのため、私の中では「ショリーはひとりで帰れるんだ」という認識が無意識に出来上がっていたものと思われる。
3人で他愛の無い話をしながら、帰路に着く。途中、遠藤さんへのお土産の『浮かれ観光客帽子』をゲットし、北海道で畜産の勉強をしたとかいう流暢な日本語の怪しい現地人を振り払いながらバザールを抜け、正真正銘ホテルへ向かう道を真っ直ぐ歩く。クチャ初日にホテルの前にいたかわいい子供たちに再会。椎名がキャラメルをあげると喜んでほっぺたにチューしてくれた。新疆の子供たちは本当に純粋で可愛らしい。まだ、平穏だ。

ホテルへと帰り着く。20:00まではまだ時間があったので部屋で休む。このころ、すでに事件は起こっていたようなのだが、本人以外はそうとは知らずにいたのであった。

20:00少し前、夕食のためホテルの食堂に向かう。席に着き、全員がそろうのを待つ。後藤さん、中條さん、そして岡内先生。岡内先生の話では、長澤先生は体調が悪いので夕食を抜かれるとのこと。そして、少し遅れて宮里さんと…。あれ、ショリーは?
「ショリーは?」宮里さんの一言で緊張感が一気にその場を支配した。この場にも部屋にもいないということは、帰ってきていない…。誰かが、「昨日一緒に行ってないよね。道分からないんじゃない」というような発言をする。「あっ」っと全員が状況を把握した。この時点でやっと「ショリー迷子事件」が発覚したのであった。*そんな名前ついてません。ていうか、まんまのネーミングだな。

「食事をしてから探せばいい」という、事態を妙に軽く考えている岡内先生の言葉を除き、その場の雰囲気は重苦しい。この時私の頭に思い浮かんだのは、まさに迷子の如く泣きじゃくる小汚い21の男の姿だった。*編注…「小汚い21」はおそらく宮里氏による挿入。
「やっぱり探してきます」と先陣を切って飛び出していったのは、宮里さんだった。きっと一番責任を感じていたに違いない。そして、その後を後藤さんと中條さんが追う。こちらのテーブルの騒ぎに気付いてイリさんとアクバルさんがやって来た。事情を説明すると、バスを出して捜索してくれるといって出て行った。

その場に残ったのは、私・椎名・岡内先生(女の子は残るようにと言われたのです)。そして、イリさん。「食べて待っていよう」という岡内先生はがんがんビールを飲んでいる*編注…きっとみんなの不安を取り除くための演出です。きっと…。ちなみに先生はこれだけの事件を起こした僕の名前を、日本に帰った後にまだ間違えていました。(「田中肇」って、一文字もあってねー!)
私と椎名は少しずつ料理に手をつけているがいつもの食欲は出ては来ず、かといってビールを飲むのも躊躇われお茶ばかり飲んでいた。先生が「男だし、この辺りは悪い人間もいないから大丈夫だ」と話しているのにも気のない相槌を打つくらいである。イリさんはと言えば、二度も三度もテーブルとロビーを行ったり来たりしていた。彼は相当に心配してくれているらしい。本当にいいひとだ。*編注…ほんとです。

時間にして20分くらい経っただろうか。不意にがやがやと数人の足音が聞こえ、捜索隊が行方不明者本人を連れて帰ってきた。「ご迷惑をおかけしました」と言うショリーは、予想に反して元気そのもの。やっと全員そろって始まった夕食の席で、迷子になっていた間の経緯を説明するときも笑顔だった。「なんか楽しそうだね。もうちょっとヘコんでるかと思ったのに」と心の片隅で残念?がりつつ、無事だからこその笑い話でよかったと思わずにはいられなかったのだった。

終わり




〜宮里さん編〜

クチャに着いてから2日目の夜,健さんの誘いにのって夜の市場に出かけた。街灯のない街は暗く,ときおり響くロバ鈴の音がいやに耳についた。街は一日の活動を締めくくるところで,あきらめの悪いいくつか店が頼りなく明かりをともしていた。燃えかすほどに華やぐ市場にみるべきものはなく,我々(同行を拒否した負け犬ショリーを除く5名)が得たものといえば,3枚の写真と方向感覚くらいだった。

クチャでの3日目,当初の予定はすでに半壊し,行くべきところをもたない我々は,昼下がりから夕刻にかけての時間を市場で過ごすことになった。市場からホテルまでは徒歩で帰るよう指示された。アクバル・ニヤーズは「この道をまっすぐいけばホテルでーす」といった。

そして迷子列車はゆっくりと動きだした。

目印とされた交差点のそばの書店に入り,めいめい数冊の本を購入,市場の中心へむけて南下した。客引きの楽団(2名)にややエキゾチックな雰囲気を味わい,興奮を高めつつ進んだ。市場の入口付近で須藤氏への土産(イスラムの帽子)を購入したあとは,各々のペースと好奇心にまかせることになり,結果的にそれぞれが遭難状態に陥った。遭難を回避するには,仲間を見つけるか,ホテルに帰り着く必要があった。

目的も好奇心も希薄な僕はハイペースで市場を抜け,大通りに出た。ここでひとつの事実を発見する。バスを降りたところでホテルまでの一本道だと教えられたのは,実際には一本北側の道で,市場をぬけた僕が眼にした光景こそが,われわれをホテルへと導く交差点だった。

この時点で遭難者のひとりであった僕は仲間の現況を把握すべく,元きた道をひき返した。入口にほどなく近い地点で,稲葉と椎名を発見した。彼女たちにわれわれの目印が誤っていたことと,最終的には自力で帰還する旨を告げ,別の仲間を捜索した。いくらか先に進んだところでヨレヨレのジーンズと暑苦しいフリースで身をくるんだショリーに遭遇した。男は放っておいてもなんとでもなるという思いがあったことと,別の話題から会話を始めたことで,誤認の件と身の処し方のことを告げられないまま別れることになった。(健と英樹はすでに情報を修正していた。)ショリーに確認事項を伝えられなかったことはしばらく頭の隅に残っていたが,市場に飽きた僕はやがてそんなことも気にしなくなり(*編注:うお〜い…),せめて女の子だけでも連れて帰ろうと捜索を開始した。大した苦労も無く合流を果たしたあと,しばらく彼女たちの買物をながめ,日本語をはなすウイグル人を警戒し,ザクロジュースとソフトクリームを断固拒否してから,帰路についた。途中,椎名にまとわりつく子供たちに辟易としながらも無事にホテルに到着した。正確な時刻は記憶していないが,19時少し前くらいだったと思う。ショリーはまだ戻っていない。
歩きつかれた僕は,このまま横になれば夕食の時間になっても目覚めないことがわかっていたが,ショリーが戻ってくればいやでも目が覚めるだろうと考え(*編注:帰ってくればね…),少し眠ることにした。

僕を起したのはショリーの帰還ではなく「ごはんです」と簡潔につげる電話だった。部屋にショリーがいないことを不思議に思ったが,おそらくロビーからそのまま向かったのだろうと納得し,食堂にいそいだ。
着いてみると,手前側にひとつと奥にふたつの空席がある。到着したばかりの僕の席,いつも岡内先生の隣にすわる長澤先生の席,もうひとつはショリー,...ん?ショリー? 僕はしばし立ち止まり寝ぼけた頭で考える。「長澤先生は少しおなかが張っているので...」と岡内先生が長澤先生の不在を説明する。わずかな沈黙がある。皆がショリーの不在に対する僕の説明を求めているようだったが,僕は呆然と沈黙をつづける。
そして僕は尋ねる。

「ショリーは?」

皆,やや緊張感をたたえた微笑で応える。来ていない,と誰かがいった。
笑いごとではない,という思いがすこしずつ説得力を増してくる。まず,中條くんが「捜しにいきます」と半身立ちあがる。岡内先生が「食べてからでいいよ」と制する。ちいさく混乱する僕は立ち尽くしたままだ。それぞれが提示した情報が整理された結果,昨日市場にいってないショリーは誤った情報を抱えたまま遭難した可能性が高い,という結論に達した(*編注:わあ、冷静な分析だね!お兄さん。(教育番組風に))
僕は「捜してきます」とやや決意をこめた調子でいった。

後藤,中條,宮里で捜索隊を編成し,出発した。

最初の交差点で,僕が北に折れ,挟み撃ちのような形で市場までの道をフォローすることになった。あんな小汚い男を誰も襲ったりしない,と思っていたのでさほど心配はしていなかったが,ロバに轢かれた可能性もあるので不安はのこった。途中,二度ほどショリー並に小汚い人物を目に留め駆け出したが,どちらも現地人だった。大通りに出たところで,四方を単眼鏡で見渡してみた。南側をみていたとき,どうも僕に視線をさだめ,顔に極上の笑みをたたえ,目障りなオレンジ色のシャツを身にまとう,自転車にのった男(*編注:間違いなくトルゴォン)がこちらに近づいてくるのが認められた。嫌な感じだな,と僕は思う。男は僕の脇に自転車をとめ,
「日本人ですか?」
と訊いた。僕はちらりとみて無視した。もう一度問い掛けられたので,
「うるさい,それどころじゃない」
とつぶやいてみた。男はとりつく島がないと考えたのか,言葉にされなかった想いをもてあますように,ちらちらとこちらを振り返りながら走り去っていった。僕は単眼鏡による捜索をあきらめ,東の道を市場に向かおうとした。
そのとき,捜し求めていたその声が「みやざとさーん」と遠くで響くのをきいた。ショリーがバスの窓から顔を出して僕を呼んでいた。夕暮れの新疆にて。




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