ということで、今回は聖書を「見ること」を考えてみたいと思います。
見るといっても、机の上にある聖書を見つめる方法でありません。
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<聖書を見つめる若者>
ごめんなさい。
最近、旧約学の授業で教授がこう言ってたんですよ。
「見るんだ。リアルな旧約の世界と人々を見て経験するんだ。」
無茶言うなと簡単にあきらめてはいけません。
生の目で見ると言うより、これは心の目で(霊の目で)見ろということに違いありません。
考えてみたところ、「見る」ために三つほど効果的な方法を思いつきました。
1.当時の様子を知る。
例えば、パウロの手紙を読む時に、当時の様子が分かるとどうなるでしょう。
「最後に言う。主により頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身につけなさい。」(エフェソ6:10〜11)
この後に、帯やら、胸当てやら、盾やら、剣やら具体的に言葉が出てきますが、 武具と聞いてみなさんどんなものを思い浮かべますか?
日本の合戦の時の武者のようなものを思い浮かべるでしょうか?
チンギス・ハーンの時代のモンゴル兵士でしょうか?
まず間違いなくパウロは武士やモンゴル兵の武具を思い浮かべてはいません。
おそらく、ローマ軍が一番身近だったんではないでしょうか?
そう、当時はローマ軍がこの辺りを支配していました。 エフェソももちろんローマ帝国領の一部だったのです。
場所が違えば戦い方も違います。
聖書が言っている信仰の戦いは、武士のように名乗りをあげて一騎打ちでしょうか?
モンゴル兵のように馬に乗って疾走する戦いでしょうか?
それとも…?(これについては今度詳しく「よれよれブルーノート」に書きます)
といった感じで、当時の事情を知ることでより明確に聖書の言いたいことに近づけるかもしれません。
方法はいろいろあります。最近は聖書の時代の生活について書いた本とか色々あります。
また、テレビを見ていて、中東のニュースを目にするかもしれません。(特に一般の人たちの映像ね)
当時と今ではかなり事情は違うかもしれませんが、少なくとも日本の現在の様子よりは、 当時の聖書の風景に近いでしょう。
一番いい方法はタイムマシンで見てくることですが、僕のまわりで持っている人がいないので無理っぽいです。
ということは、完全に当時の様子を知ると言うことはできませんから、自分で得た知識を過信しない方がよさそうです。
あくまで知ってるといいかもね、ということです。
2.想像力を働かせる。
僕が最近聞いた例えで一番インパクトがあったのは、教会の林さんによる「ダビデとゴリアテ」の例えです(ネタとってごめんなさい)。
(サムエル記T17章にある話です) 彼女はこんな感じで言いました。
「ダビデと言えば、まあ十代の見た目のきれいな男の子だったということですから、今で例えるとジャニー○Jr.って感じかな。 ゴリアテは筋肉隆々の大男だから、今で言うとボ○・サップかしら。」
僕は感動しました。
みなさんイメージしてください。ボブ・○ップとジャ○ーズJr.の可憐な美少年の対決です。
勝てないよこれは!
少年がジークンドーの達人とかでない限り勝負になんないよ!
確かに神様の業だよ。間違いないよ!
ということで、二つの方向性で想像力を働かすのがいいと思います。
まずは、聖書の語る情景を思い描くのです。なるべくリアルに。
この時1.の情報量が多いと、よりリアルに(歪んでる可能性もありますが…)思い描けるかもしれません。
次に、自分の身近に引き寄せるのです。身近な物に例えるのもいいかも知れません。
自分だったらどうだろう?と考えてみるのもいいかも知れません。
とはいえ、あんまりやりすぎると聖書の見せたいものから、自分が見たいものにすり変わってしまう可能性がありますので、 これに頼りすぎてはいけません。
3.祈る。
コリントの信徒への手紙第一の初めのほうには、興味深いことが言われています。
「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。(Tコリ1:21)」
「『目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、 神は御自分を愛する者たちに準備された』と書いてあるとおりです。 わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。 “霊”は一切のことを、神の深みさえも極めます。 人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。 同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。(Tコリ2:9〜11)」
ここまで自分で言っといて何ですが、1や2の「人の知恵」、「世の知恵」では、
神様の周辺のことは分かっても神様のことは分からないようです。
周辺のことを知るのも大切なことかも知れません。
でも、「人の心に思い浮かびもしなかったこと」を見てみたいなら、
まず第一に“霊”(聖霊のことですね)を求めることが必要なようです。
思いもしなかった、神ご自身を「見る」ことができるようになるのです。
“霊”(聖霊)の目を通して見ることができるようにと祈ることが、一番大切なようです。
そんなことは知ってらい、という人は1や2にチャレンジしてみるのもよいかと思います。
ということで、今回は聖書を「見ること」を考えてみました。
気をつけていただきたいのですが、これはあくまで僕が考えてみたことですから、 あんまり影響されないでください。
絶対的なものでは決してありません。
そのうち、聖書に「聞くこと」「触れること」について書きたいと思います。
注 *ジークンドー…ブルースリーの格闘流派。
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