それゆえ、わたしは罪人のかしら


罪はなかなか終わりを告げない。
この罪さえ何とかできれば…、とは言えない。
それを乗り越えたと思ったら、次の罪に気づくのだ。
それは絶望的な繰り返しに見える。

やがて心の中で何かが言う。
この生き方でなくてもいいではないか。
少しだけ、少しだけ道をそれてもいいではないか。
大丈夫、全部を捨てるわけではないのだから。

あるいはこう言う。
ここまで頑張ったのだ。
もういいではないか。
諦めても、十分な所まで来ただろう。

しかし、それは違う。
だまされてはいけない。
イエスが既に勝っているとは、どういう意味か。
今一度考えてみる。

君は、いつまでも変わらない繰り返しだと言うかも知れない。
それは違う。
打ち倒されても、倒れたままでは終わらない。
敗北者の自分を見ているだけでは見えない景色がある。

何度も躓き、負けるかも知れない。
それでも、確実に変えられていくのだ。
昔の状態に戻りたいとは思わないだろう。
罪に痛みを感じていることこそ、神の子の証なのだ。

悲しみ、もがくだろう。
どうすればいいのかと叫ぶだろう。
そして義に飢え乾いて泣くのなら幸いだ。
やがて時が来る。

諦めてしまうことを陰で笑いながら待つ者がいる。
「神の子とされたことを忘れさせよう」と願う者がいる。
同じ罪に「またか、またか」と思い、乗り越えれば「次はこれか」と思う。
それでも諦めずに耐え忍ぶのだ。

自分にあきれ果て、それが馬鹿げて見えても。
何度も悔い改めるのだ。
信じ続ける者に苦闘しない者は一人もいない。
目をこらせば、傷は全てキリストが負っているのに気づくだろう。


モールスキンの手帳に戻る

しょんぼりマユゲ表紙に戻る



[★高収入が可能!WEBデザインのプロになってみない?! Click Here! 自宅で仕事がしたい人必見! Click Here!]
[ CGIレンタルサービス | 100MBの無料HPスペース | 検索エンジン登録代行サービス ]
[ 初心者でも安心なレンタルサーバー。50MBで250円から。CGI・SSI・PHPが使えます。 ]


FC2 キャッシング 出会い 無料アクセス解析