愛しているといえない


第一ヨハネ4:16 … 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。
愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。(新改訳)
第一コリント13:4−8 … 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。(新共同訳)


結局のところ、

一言で一番大切なことを言うのなら、
僕が神に愛されているということなのだ。

一言でどうしても伝えなければならないのなら、
あなたが愛されているということなのだ。

一言で僕が最も望んでいることを表すのなら、
愛され、そして愛し愛されたいのだ。
神とも、人とも。


だけど、僕は「愛している」とうまく言えない。

教会で賛美歌が響く。
僕はみんなと共に「神を愛す」と歌う。
だけど、部屋で一人神と向き合う時、
「愛している」という言葉は喉に詰まって出てこない。

愛すべき相手にメールを送る。
僕は「愛している」とキーボードを叩く。
だけど、実際にその人と向き合う時、
「愛している」という言葉は喉に詰まって出てこない。

恥ずかしいからではない。
好意がないからではない。
しかし、むしろ感情があればあるほど言葉が出ない。

「愛は、愛は、真の愛は…」

心が、そう僕に語りかけるのだ。


神は愛である。

愛は神である。

神が愛と言う概念なのではない。
そんな失礼な言い草はない。
神は神だ。
僕が僕であるように、神は神だ。

しかし、僕の存在は神の愛に基づいている。
そして、神の存在はその愛を強烈に示している。
神を誰かに一言で紹介するならば、愛である。
神は愛である。そう、愛なのだ。

愛は関係の中に表れる。
神と僕の関係に。
神とあなたの関係に。
僕とあなたの関係に。


愛は忍耐強い。
僕は忍耐強くない。
しかし、その僕に対する神は忍耐強い。

愛は情け深い。
僕は情け深くない。
僕は冷酷だ。
しかし、その僕に対する神は情け深い。

愛はねたまない。
僕はねたむ。
人の成功を。人の快楽を。人の持つものを。
人に与えられたものを。人の幸せを。
喜ぶ前に、まずねたむ。
神は、僕が神に背を向けながら得た成功さえ、
悲しみにくれながら、共に喜ぶ。

愛は自慢せず、高慢にならない。
僕は自分の傲慢さに関しては確たる自信がある。
僕は多才である。頭もいい。
性格もいい。聞き上手である。
人生勝ったも同然だと思っている。
あわれな王様だ。
しかし、神は自慢せず、高ぶらない。
神はその全てを捨てて人間になった。
この僕と同じ場所まで降りてきた。

愛は礼儀に反することをしない。
僕は礼儀など知らない。
正しい振る舞いなど知らない。
時として、いや常に、獣と変わらない。
いや、それ以下かもしれない。
神は真に正しいことをする。

愛は自分の利益を求めない。
僕の行動原理は自分の損得だ。
自分、自分、自分、自分、自分である。
神は命と言う代価を払っても、その僕を救い出す。

愛はイライラしない。
僕は怒りの子である。
実につまらないことで殺意すら抱く。
そんな醜い僕に対する怒りと裁きさえ、
自らにぶつけて僕を赦すのが神である。

愛は人のした悪に固執しない。
僕は固執する。
嫌なことをされれば、ずっと敵と見なす。
その僕を神は赦し、その悪をもはや思い出さないと言う。

愛は不正を喜ばずに真理を喜ぶ。
僕は神の前に正しいことなど知らない。
真理よりも目に見える移り行くものを喜ぶ。
その僕が愛を知ることを神は喜ぶ。

愛は、全てを我慢し、全てを信じ、
全てを期待し、全てを耐え忍ぶ。

僕は我慢できず、信じられず、
期待せず、耐え抜くことのできない人間だ。

その僕のために、神は我慢し、信じ、
期待し、最も相応しくない死を耐え忍んだ。

愛は決して絶えることがない。
僕は今すぐにでも絶えてしまえばいい存在だと思う。
僕のちっぽけな好意さえ長続きしない。
僕に永遠などない。
その僕と共に永遠に居る事を、神は望むと言う。

愛は、愛は、真の愛は…

心が、僕に語りかける。
お前に内に真の愛はないと。


生まれたのは愛し愛されるため。
生きるのは愛し愛されるため。
死は神のもとで永遠に愛し愛されるため。

人生が何年かを僕は知らないが、
何も残さなくとも、何も得なくとも後悔はしないだろう。
だけど、愛がなければそれは何て空しい事だろう。

どれだけ聖書の読み方がうまくとも、
どれだけ知識が豊かになろうとも、
どれだけ立派な地位や成功を得ようとも、
愛の実を結ばないのなら、
それは、むなしい。

キリスト者として、
僕が生きることは、何かを成し遂げることではなく、
自分の内に愛が成し遂げられることを祈りつつ、
キリストと共に日々を過ごすことなのだ。


僕は愛されている。
僕は愛したいと思っている。
愛に相応しい愛は返せないけれど、
共に生きることでそれを表せるのなら、
ぎこちなくても告白して生きようと思う、
神と、人とに、愛していると。

いつの日か、真の愛が僕の内に実を結ぶことを、
僕は夢見ている。



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