2003年8月12日(火)曇り時々雨

来週の火曜、僕はアメリカに渡る。
(最短で)3年間の留学のはじまりだ。
つまり今日は一週間前となる。
そう、一週間前になった。
きりがいいので日記をつけはじめることにした。
存在を忘れられないためにも時折日本の友人たちに近況を送ろうと思うが、
長いメールはうざいだろう。
ホームページを作ってしまえば、見たい人は見るし、見たくない人は見るまい。
そんなことでホームページを作ることにした。(以上HP作成理由と目的です。)

毎日書き続けられる性質は持っていないので、気がむいて時間のある時だけ書くことにする。
記念すべき第一回目だけど、特別なことは書かない。そんなものはないしね。ということで、淡々と。

大学卒業してから向こうの学校が始まる9月まで、毎日が夏休みの日々を送ってきた。
おかげで、生活リズムはボロボロになってる。
今日も昼に起き出して、銀座の教会にオルガンのお師匠たちのコンサートを聴きに行った。
自分が習ってきて慣れているせいもあるのだろうけど、とても心地よく聴こえた。
早く弾いているように聴かせない、あくまで自然に一音一音そのまま出す感じに弾くように習ってきた。
音を裸の状態で出すから、技術の優劣は如実に出てしまうんだけれど、
その分弾き手そのものが音を通して伝達されてくる(分かりにくい言い方でごめんなさい)。
聴いている者が恥ずかしいほどはっきりと聴こえるので、心も動く。楽しかった。

夜は友人ウルウ君の参加しているバンドのライブを聴きに行った。南青山のマンダラという店だった。
ここでは初めての公演だそうだ。バンドは「Jazz Supenders/長澤孝子」という。
ピアノ、ドラム、ベース、ギター(ウルウ君)、フルート、サックス、歌(長澤孝子さん)という編成。
けっこう前から活動しているけど、割とよく聴きに行っていた。ポップなジャズという感じの音楽で、
僕はウルウが友人であるという理由を抜きにしても聴きに行きたいと思うほど気に入っている。
批評できるほど音楽通じゃないけど、何だか聞く度に発展してる気がする。
今夜は特に凄みが増していた。正直聴いていて嬉しくてしょうがない。
聴くのが楽しいのだ。まず間違いないと思うが、メンバー一人一人も音を楽しんでいる。
聴いていて「いいなあ」と思うのだ。

2003年8月13日(水)晴れ後曇り

『きょうのポエム 〜は〜』

なんか中央線乗ってたら前歯が欠けた。
なんの前触れもなく欠けた。
また伸びてくるのかなあ。

2003年8月14日(木) 雨

今日は僕の送別会。
色んな人が送別会を用意してくれているが、
仲良かったはずの大学のサークルの同期では何もしてくれなさそうなので(そういうもんだよね)、
自作自演で行くことにした。
夕方、みんなに集まってもらい、ウルウの家に行く。
用意したプレートで焼肉、相当食った。
最後にそれぞれ近況を話して祈りあって別れた。
妹さんが帰省中なので、僕と元幹事長のよっしー君はウルウ宅に泊まることにした。
学生の時はよく、ウルウの住んでた大学裏のハヤカワ荘という趣のあるアパートに押しかけた。
卒業して一年もたたないのに、もう思い出になってるんだ。

2003年8月15日(金) まだまだ土砂降り

ウルウが7時半に仕事に出るということで、僕とよっしーも一緒に出た。
「映画いこっかなー」とぶつぶつよっしーが言っているので(彼は今日休日)、
「じゃあ僕もいくー」ということで、新宿に向かった。
織田ユージがレインボーブリッジを封鎖する映画だった。
むかつく役の女の人が本気でむかついた。いい役者さんだなあ。

2003年8月17日(日)晴れ

日曜日は安息日だが、肉体的には一番疲れる日かも知れない。
朝から中高生の礼拝があり、次に大人用の礼拝があり、昼は若者たちでご飯を食べに行く。
なんだかんだやって、夕方1時間くらい昼寝して、7時から夕礼拝。
割と一日動き続ける日である。
でも霊的にも精神的にもどうしても必要な日だから問題ない。

今日は日本を離れる前の最後の礼拝。普段と何も違いはしないけど。
僕は中高生科のスタッフなので、子供(と大人の間の年だけど)たちとしばらくお別れと思うと少し残念だ。
もっと色々してあげられたらなあ、と思わないでもないけど、特別悔いがあるわけでもない。
僕が以前「後1年ちょっとで子供たちとお別れだから、できるかぎりのことを伝えていかなきゃ」
みたいなことを言ったら、父(牧師)に言われた。
「最後だから一生懸命やらなければならないという仕事の仕方ではいけない。いつも一生懸命やりなさい。
神様の働きは続いていくのだから、君は今日やれることを十分にやっていけばいい。」
なんか納得した。

午後に若者主体で送別会を開いてくれた。ドイツに留学のサクラさんと共に送別された。
思ったよりたくさんの人が集まってくれてびっくりした。うれし。

夕礼拝後、ここ半年ほど恒例の聖書の学びを高校時代からの盟友カワカミとやった。
最初は既成のテキストを使っていたが、一通りやったので、聖書を一章ずつ読むことにしている。
ローマの信徒への手紙を最初から読んできたが、今日15章をやって、最後の16章もざーっと読んで、
とりあえず一区切りつけられそうである。
僕はこうして少人数で聖書を学ぶのが好きだ。
聖書を知ることそのものが好きだし、人数が少なければ個人的な話も必要に応じてできるからとても楽しい。
カワカミとも相当回数一緒に聖書を開いてきたが、毎回面白かった。
何というか学びに関する導きを感じるのだ。だから面白い。

その後、これも恒例のビリヤードに行った。
いつも聖書読んで、ビリヤードいくのが習慣のようになってる。
特別勝敗に思い入れがあるわけでなく、だらだら話しながらやるのだ。
点数も普通につけるわけではなく、相手のだしたお題の絵を一勝ごとに一筆書いていく。
最終的に勝ったほうが絵を完成できるのだが、一度もそれと分かる絵をかけたことがない。
「頭の中にイデア(この場合「理想的完成図」の意味で使ってる)がある場合はうろ覚えでも 書く」のがルールなので、妙に気の弱そうな「猫娘」(from鬼太郎)とか、うなぎでも犬でもない「うなぎ犬」(fromバカボン) とかができるので爆笑することもしばしばだ。お店の人は帰った後絵をみてどう思っているんだろう。
下北のはずれにあるビリヤード場に通っているが、 毎週行くからお店のおばあちゃん(初老)とも仲良くなった。
前に母の日で教会からカーネーションをもらった時も、余分にもらったやつをカワカミがプレゼントしたら、 とても喜んでいた。度々お菓子ももらった。いい年して二人とも大喜び。
約一年会えなくなるのは残念だ。また来年もきますね〜、といって出てきた。

関係ないが、下北にはもう一人素敵おばあちゃんがいる。文房具屋(正確には紙屋)さんである。
ある意味しつこいと言えるくらい客の探しているものに応えようと努力してくれる。
他の人だとうざそうだが、このおばちゃんは嫌味がなく単純に親切なので、なんか思わず買ってしまうのだ。
渡米前にモールスキンの手帳を買っておこうと思ったけど置いてなかった。
でも一生懸命探してくれたのでそのまま帰る気にならず、つい小さいボールペンを買ってしまった。
そう、素敵おばあちゃんのいる店は、客がいなくならないのだ。

あれ?なんか日曜関係ない話で終わったな。

2003年8月19日(火) やや曇り

旅立ちの日。やたら長くてきつい一日になった。

日本時間の午前、出発にあたって祈祷会をする。

僕、両親、妹、見送りに来てくれたイシイ神学生、 教会の中高科の女の子「森のマリー」、車で送ってくれるカメオカ氏の7人。
父が聖霊について少し話してから祈った。そして出発。母と妹はここで見送りである。
空港まで車で1時間半だった。
以前、飛行機に乗り遅れるという失態を(僕が)さらしているだけに、 今回は慎重に時間をとったが、予想以上に早くついた。
無事チャックインをすませ、みんなで昼食。
さらに食後のお茶の時間までとれた。みんなに手を振って、ついに飛行機に乗り込む。

わたくし実は飛行機の離陸時と着陸時が結構怖いのであります。
思わず、機体と機長とクルーのために、スーパー入れ込んで祈ってしまうほどであります。
だって怖いじゃん。鉄の塊ですよ。飛ぶかどうかも怪しいもんですよ。
友人ウルウは未だに飛行機は全部幻だと言い張っています。
そこはかとなく共感してしまいます。
あと、9.11の時にちょうどアメリカにいたので (西から東へ鉄道で横断の旅のはじめでした、目的地はまさにニューヨーク)、 テレビで見た飛行機と貿易センターの映像と、その後の国内の異様な雰囲気がトラウマになっているのかも知れません。
まあ、それはそれとして無事飛び立ちました。
その後12時間、寝たり映画見たりして、気づいたらもうアトランタです。
ここで乗継です。乗り継ぎのための時間は約2時間。まあ普通に考えて大丈夫。

ところが、入国審査で長蛇の列。荷物の再チェックインで長蛇の列。手荷物チェックで長蛇の列、 しかも時計はずし忘れて見事にブザーを鳴らし、ボディチェックのおまけつき。
なんかクタクタになりながらエスカレーターをあがり時計を見ると5時15分。チケットを取り出し時間を確かめると5時出発。
はあ、ぐったり。

乗り遅れも二回目だと少し慣れており(慣れたくないけど)、トボトボカウンターに行くとペナルティーなしで 次の便のチケットを出してくれた。意味もなく半笑いでゲートに向かい、待つこと1時間。
当初の予定の約1時間半遅れでアトランタを飛び立った。

9時6分、ニューアーク空港に到着。10時までに大学のオフィスに行けばキーがもらえる。
ダッシュで荷物を取り(9時15分)、見回して発見したガタイのいい黒人の運転手に声をかけて車に走りこむ(9時25分)。
決して抜かれることのないスピードで(「へへ、衝突したら死ぬな」と思いながら)
飛ばすこと25分ほどでドゥリュー構内へ(9時50分)。
最初の駐車場に止めてもらい、料金を払い、荷物を放り出して放置のままオフィスにダッシュ(9時55分)。
ゼーハー言いながらオフィスに飛び込むと既にクローズ(10時ジャスト)、コーン。
エスパニョールの女性が一人箒で掃除をしているので、「あの、もう誰もいないの…?(力ない声)」と問いかけると。
(英語は苦手らしく)たどたどしく「あの、はい。いません。…(僕の絶望する様を見る)。あの、じゃあ外から窓をノックして見たら ひょっとしたら誰か出てくるかも。」
「え、外って、ああ、この窓?…トントン、カンカン、ガンガン(必死)」
出てきた。
中に入れてもらって話すと、担当者の女性がラフな格好で出てきた。
「やあ、大変でしたね。ちょっと残念ながら鍵がまだ届いてないけど、ルームメートいるから大丈夫。車で送るね」
ただ間に合ったという事実(そして屋根の下で寝られるという事実)だけで、鍵がないという残念な知らせも 全く痛くも痒くもありませんでした。

途中で放り出した荷物を拾ってキャンパスの隣にある寮Green Villaへ到着。担当者曰く、
「あ、3階です。エレベーターはありません」
むしろそれが残念な知らせだよ。
手伝ってもらいながら汗だくで部屋に着く。ルームメートの韓国人が迎えてくれる。
とにかく、部屋に着いたのでホッとする。シャワーを浴びてすぐ寝たいが、 この親切な韓国人は僕の部屋の掃除をはじめてくれた。一緒にやらないわけにはいかず、さらに汗だくで働くこと30分。
「いつ着いたの?」「さっき」「…じゃあ疲れてるんだ。シャワー浴びる?」「うん…」
兄貴の送ってくれているはずのシーツを受け取る暇もなく、大きなバスタオルをしいて寝た。もうぐったりと。
とにかく着けたことが大感謝さ。パタリ。

<寮の正面>

2003年8月20日(水)晴れ

昨日はバタバタ動いてたから汗をかいていたんだと思っていたが、 ただならぬ事実に気づいた。
ここは暑い。しかも蒸している。
時計に温度計がついているが、夜でも30度。しかも蒸している。
そして笑えることに、外より部屋のほうが暑い。しかもより一層蒸している。
以後トランクス一枚で何もかけずに寝ることになるが、それでも寝汗をかいている。 まあ、ここまで暑いと逆に潔い気持ちになれるものである。 それに日中体力消耗するから、夜すぐ寝られて良い。
さて、移住二日目だが、ルームメートのドニー君と一緒にスーパーに買い物に行った。 生活雑貨(調理器具とか)と食料を買ってきて、料理して食べた。午後には鍵を手に入れた。 夜は親切にもドニー君が自分の教えてもらっていた教授の家の食事会に連れて行ってくれた。 たらふく食べて、思わず眠くなり、気づいたら子供達がゲームしてる横でちょっと寝てた。 気をつかってドニー君が僕を帰してくれたので(子供かよ!)、シャワー浴びて寝た。
熱帯夜。
部屋の変遷<マイルームin下北(左)><グリーンヴィラ305(右)>



2002年8月21日(木)晴れ

寮の裏から林を抜けて直接キャンパスに入れる。
午前中買い物のために林を通ると、鹿四匹と目があった。
一瞬「え?置物?」と思ったが、きょどった目がうろうろしているので生き物である。 リスはいっぱい駆け回っているが、まさか鹿が普通に歩いているとは思わなかったので、 ずーっと見詰め合って、お互い警戒しながら通り過ぎた。 一応街なんだけどなあ。
午後はドニー君がプールに行くと言うので一緒に行った。 久々に泳いで楽しかったが、塩素で目をやられて、その後一日文字通り泣き暮らすことになった。 それから図書館に行ってインターネットを試す。 実は電話線が寮に引かれていないのでネットにつなげなかった。 もちろん電話もできなかった。他色々な理由で親にも連絡できずに少し焦っていたのである。 ところが図書館で試してみるとダメだった。どうもパスワードとかがいるらしい。 明日のオリエンテーションでもらえるといいなあ。

<キャンパスに抜ける林道>

2003年8月22日(金)うっとしい晴れ

今日からオリエンテーションが始まる。
まずは留学生用のオリエンテーションだ。
関係ないが、幼い頃はオリエンテーリングとオリエンテーションの違いが分からなかったよね。
で、朝ごはんからはじまって、色々解説とキャンパスツアー、そして銀行の口座を開くコーナーと盛りだくさんの内容だった。 特に銀行口座を開くコーナーはすごく助かった。ひそかに憧れていた小切手帳も手に入れた。 キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン的詐欺行為もこれでできるかもしれない(無理)。
オリエンテーション中に念願のパスワードを受け取り、ついにインターネット成功である。 両親や取り急ぎ必要な人物にメールを送ることができて、とりあえず一安心である。
夜、ドニーが何やら重そうなものを担いできた、エアコンらしい。 僕は東京出身なので、我慢できるが、彼はこの熱帯夜に我慢ならんらしい。 後10日もすれば涼しくなってくるのになあ。

2003年8月23日(土) やや涼しめ晴れ

オリエンテーション二日目は、「安いお店へショッピングツアー」だ。
何とバスをチャーターして一日回るのである。すげ。
いわゆる100円ショップと同じ99セントショップや、 電化製品のお店、ほとんど何でもそろうディスカウント店 (扇風機買った、9ドル、約千円、ちゃんとしたやつ)などを回った。 結構色々買って、生活の設計はほぼ立った。それでも全部で100ドル弱(一万円くらい)しか使っていないから、 まあまあがんばったと思う。 僕の部屋はルームメートとの共有ダイニングとセットの空間にあるので、 敷居がほしかったのだが、今日シャワーカーテンを買ってきて仕切ったので、 これで晴れて(ほぼ)完全一人部屋暮らしのスタートだ。

2003年8月24日(日)晴れ

こっちに来て最初の日曜日。
Drewにはほとんど日本人はいないけど、幸いにもインターナショナル・サービス・オフィスの パートタイムスタッフの一人が日本人だった。クニシゲさんという人だ(PHDの学生でもある)。 今日は彼の通っている教会に参加することにした。
今はちょうど夏休み期間中でヴァケーションやら何やらでここに残って礼拝に出ている人が少ないらしい。 事実、全部あわせて20人もいなかった。しかも、牧師は研修かなにからしく、代理牧師が説教に来ていた。
礼拝後はクニシゲさん一家(奥さんと3歳前の息子さん)に招いてもらい、昼食をごちそうになった。 昨日いけなかった日本の食品のある店や、プリンタを買うためにいい店にも連れて行ってもらった。 夕食まで一緒にさせてもらい、野球のリトルリーグのワールドシリーズで日本がアメリカを10−1で破るという 笑いの止まらない試合をテレビで見てから帰った。 とても親切な日本人と知り合いになれてホントに心強い。 感謝だ。

*PHDとは、哲学博士科のこと。といっても哲学を学ぶということではなく、 何かの専門を極めた博士のこと。(アバウトな説明です、突っ込まないでください)

2003年8月25日(月)晴れ

『きょうのポエム 〜もやし〜』

朝は野菜炒めを作った
もやしが乾いていた
彩りが寂しいのでニンジンとネギを入れた
ネギはホントは嫌いだ
不味かった
火力が弱いのとフライパンが小さいのも敗因の一つだと思われます


午前中は英語のテストがあった。なんかトフルみたいなテストと、 エッセイ(小論文みたいなやつ)の二部構成だった。 それだけでも結構つかれたのに、午後は延々と「アメリカでの生活」みたいな 講義を5時間連続してへばった。
夕食をまたクニシゲさん宅に招待してもらって食べた。うまかった。 食後、アメフトをみた。アイシールド21(ジャンプのマンガ)がいい味出しているから、 これから日本でもはやるかもしれないが、今ン所ほとんどテレビ放送がないから、 こちらで試合を見れるのは非常にうれしい。僕はこういう戦術的なスポーツ好きだ。

手紙を書いた。

2003年8月26日(火)晴れ

ニューヨーク行った。別にどうってことなかった。
東京の方が色んな面でいい気がします。
メトロポリタン美術館がないけど。
日本人だからそう思うんでしょうけど。
アメリカは偉大な田舎です。

2003年8月27日(水)晴れ

昨日の夜から神学部のオリエンテーションがはじまった。
留学生用オリエンテーションから続けてだから、相当長い感じがする。 もういい加減お腹いっぱいだ。
今日は、学生IDを手に入れ、授業登録をした。
うまく配分したはずなのに、すでに埋まっている授業がいくつかあったために、 時間をかなり変更されることになった。結局週休4日の日程だ(物を投げないでください)。
4科目で12単位(各3単位)。でも、一科目でも3コマ授業のあるやつが二つ、2コマが一つあって、 全部で9コマの授業となる(分かりづらくてゴメンナサイ、わざわざ計算とかしなくていいよ、どうでもいいことだから)。 ホントは15単位取りたかったけど、アドバイザーの先生に「最初からそれはハードすぎるから、 まずはこれで様子を見ろ」と言われた。まあね、全部英語だしね(当たり前)、最初はついてくのも大変かも。
そうそう、ホームページ開いたとメールしたら既に何人か返信をくれた。 日本との接点がほとんどここしかないから、メールをもらえるとやっぱりうれしいです(婉曲な催促です)。

2003年8月28日(木)晴れ

神学部のオリエンテーションと言うことで、毎日礼拝がある。
今日は朝礼拝と聖餐式礼拝が夕方あった(聖餐式が何か分からない人は近くの人に聞いて見ましょう、 12%くらいの確率で教えてもらえるでしょう)。ここの礼拝スタイルに慣れてないから、 たまに何やってんだか分からないこともあるが、やはり僕は礼拝が好きだ。
以前、教会の中高科で「礼拝って何でしょう?」と問いかけたことがある。
当時中一だったT.アユミの返事が確かこんなんだった。

「神様に会うこと」

これが妙に心に響いたのを覚えている。
冷静に考えてみると「神様に会う」とはすさまじい出来事だ。
何しろ「神様」だ。あなたは本物のリアルな「神様」の前に出たらどうするだろう?

僕のイメージでは(めちゃめちゃ勝手な主観的イメージです)、人は真の神の前にでたら崩れ落ちるに違いないのだ。
そして聖書の神は崩れ落ちる人間を抱きとめる神なのである(これも僕のイメージね)。
人を圧倒し、そして包み込む神。この「神様」に出会うとはなんて興奮と刺激だろう。
こんなわけで僕は礼拝が好きなんさ。

「ヤコブは眠りから覚めて言った。
『まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。』」創世記28:16

そう、主がここにいることを知らないとき僕の人生は退屈になり、 それを思い出したときに礼拝は途端に生き生きとし始めるんだ。

(ちょっと、書いてて途中から夢中になってきたので、 これは今度よれよれモールスキンでまとめて書きます。)

夜は野菜炒めとチャーハンを作って食べた。
今回は成功しました。勝因は一度にフライパンにぶち込むものを減らしたことです。
あと、重大なことに気づきました。どうやら院生と神学部生(院生扱い)は カフェテリアでの食事プランがついてないようです。
ということで僕はこの一年で料理と英語と韓国語(神学部の3分の1が韓国人)を マスターすることになりそうです。
大丈夫だよ、お母さん。僕は何とかやっていけそうです。

*聖餐式というのは、イエス・キリストの十字架による死(とそれによる贖い)を記念して 行われる式です。マタイ26:26〜29や第一コリント11:23〜26を参照してください。

2003年8月29日(金)曇り一時雨

長かったオリエンテーションも今日で終わった。
毎日朝から晩まで色々あって、正直疲れがたまっているので、明日は久々にゆっくり休みたい。
昼にはプログラムが終わったので、午後は教科書を大学のブックセンター(といっても小さい生協)に 買いに行った。
たけー。いや、一冊一冊は日本の多くの専門学術書の値段に比べたら安い。 しかし何しろ量が多い。16冊。一教科平均4冊。肩がはずれそうに成る程重かった。
でも内容は面白そう。やっぱどれも興味ある分野だから、ドキドキする本ばかりだ。 特に教会史の本は学部時代の専門に近いから(聖書考古学)教科書でなくても買って読みたくなるタイトル ばかりだ。
まあ始まる前だからこんなこと言ってるけど、そのうち「見たくもない」とかいうかも。

<これから一番よく使うであろうセミナリーホール>

2003年8月30日(土)曇り夕方から一時雨

今日は休日で特に何もない。
リスを撮ろうとして追い掛け回したが、逃げまくられ、 やっと接近したら「電池切れです」とデジカメに言われ、 とぼとぼ帰った。それくらい。

2003年8月31日(日)晴れ

今日の礼拝はニューヨークシティーにあるエピスコパルの教会に行った。
日本で言うところの聖公会だ。
多くのエピスコパルの教会は割りと堅い雰囲気だけど、 この教会はびっくりするくらいフレンドリーでカジュアルな感じの教会だった。 人種も、白人がやっぱり多いけど、結構色々混じっていた。 説教が早口すぎて残念ながら聞き取れなかったけど、 素直に礼拝できてよかった。

礼拝後は、クニシゲさんにそのままレイバーデー(つまり労働者の日、休日) のパーティがあるからということで、連れて行ってもらった。
教会の役員さんのお姉さんのうちらしい。
いわゆるブルカラーの人たちの集まりで、僕としては居やすかった。 別にパーティーだからと言って何か特別なことがあるわけでなく、 広い庭で50人くらいが食べたり話したり馬蹄投げしたり音楽したりしていた。 僕はぼーっとして食べてぼーっとして食べた。 馬蹄投げはぼーっとみるのに最適だ。 輪投げに近い。馬蹄を棒に向かって投げるのだ。 筋骨隆々のおじさんたちが一生懸命投げてた。 音楽もまたおもしろい。みんな結構楽器ができるのだ。ようはガレージバンドだ。 おじさんたちが一通り弾いて終えたら、若者たちが楽器を手にとってガチャガチャ始めて、 ドラムがいなかったのでどうみても60過ぎてそうなおじいちゃんがたたき始めた。 またうまいんだこれが。14,5歳の若者と60歳以上のぶっつけバンド。 アメリカンパーティーと言う感じを味わってきた。


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