「戦争と平和…(3)」


<前フリ3>

2005年12月28日追記

ということでシャロームについて考えてみよう。
当然聖書から考えていこうと思ったのだが、
そうなるとヘブライ語であるシャロームがそのまま使われるのは
原典が(主に)ヘブライ語である旧約聖書になる。
が、二つの理由から、ここでは新約聖書から考えることに決めた。

一つは僕のヘブライ語力と旧約理解が甚だ貧弱だということ。
一応語学も聖書学も神学校で学んではいるのだが、
いかんせんまだ自分の中でまだまとめきれていると言えない。
確信のないことは書きたくない。

もう一つは、イエスも(異説もあるが)ヘブライ語を使う
ユダヤ人だったわけだから、クリスチャンとして書く以上、
たとえ原典がギリシア語でも、シャロームと言っている(はずの)
所なら、新約から書くのでいいだろ、という考えからだ。

分かりやすく、かつ具体的にするために、
今回は特にヨハネの福音書20章19〜30節に焦点を絞る。
後々、また旧約を含め聖書から追記したくなったら、
その都度することにすればいいや、と思う。

何でこの聖書箇所かというと、「平和があるように」、
という言葉が三回も出てくるからだ。
三つの角度から見られれば、かなり満腹感が期待できる。

ということで実際に見ていくことにしよう。

<思ったこと5 〜キリストの平和、その一〜>

まずはヨハネ20章19〜20節前半まで。
こう書いてある。(*注1)

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。

はじまりの言葉は、

「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。」

つまり、イエス・キリストが復活した日の夕方のことになる(*注2)
この19節以前の所を読んでみると、
マリアが墓を見に行くエピソードが書いてある。

この日の朝に、マリアが墓に行って、
イエスの遺体がなくなっているのを発見。
さらにその帰り道に彼女は復活したイエスに会っている。
それで、戻ってきて、弟子たちに
「わたし、復活した主に会いました」
と言ったのだ。

さて、その夕方に弟子たちはどうしていたのだろう?
そして何が起こったんだろうか?

「弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあった…」

弟子たちはユダヤ人たちを恐れて閉じこもっていたのだ。
何で恐れていたのか?
それは当然、三日前に自分達の教師で
指導者だったイエスが殺されたからだ。
今のところは大丈夫だけど、
いつ自分たちも捕まって処刑されるか分からない。
処刑されないまでも、ひどい目にあわされるかも知れない。
とにかく、静かに隠れていよう。
そういう感じだったのだろう。
ドアもきちんと閉めてあった。
(密室殺人が起きそうなシチュエーションだ!)

その弟子たちのいた所にイエスが突然現れる。
そして言ったセリフが「あなたがたに平和があるように」。

既に前述したけれど、シャロームと言うヘブライ語は
今でも挨拶の言葉として使われている。
ここでのイエスのセリフも、
おそらくそれに近い当時の言い回しだったのだろう。
ギリシア語で書かれているから正確にはわからないが…(*3)

ま、つまり、イエスはパッと弟子たちの中に現れて、
普通に挨拶の言葉を言ったのだ、ということになる。
しかし、この後を見ていけば分かるのだけど、
これは単なる挨拶の言葉ではなかったのだ(と僕は思う)。
実はその言葉どおりの意味をイエスは込めていた。
つまり、「あなたがたに平和あるように」というメッセージだ。

さっきも書いたけれど、この19〜30節の短い期間で、
実にこの表現は一言一句同じで三回も出てくるのだ。
ただの挨拶だったら三回も書かないだろう。
イエスは現実に「平和があなたがたにあるんだよ」
あるいは「あることになる」ということを伝えたかった。
そういうことだと思う。

まず、この一度目の「平和」からは何が分かるだろうか?
それは前後の文章のつながりから明らかになっていく。
まず、彼らはユダヤ人を恐れて閉じこもっていた「が」、
イエスが来て「あなたがたに平和があるように」と言った、
と書いてある。

つまり、「外の世界、自分の命が脅かされるような場所を
恐れるな、びびるな、恐がるな、平安があなたがたにあるんだ」
ということを伝えたかった。

確かに、外は危険だった。
三日前に自分たちのリーダーが犯罪者扱いで処刑された。
外に出たら何をされるかわからない。
しかし、平和があるとイエスには言うことができたのだ。
なぜか?
それは続きを見ると分かる。

「そう言って、手とわき腹とをお見せになった。」
手とわき腹をなぜ見せたのか?
わき腹に自信があったのだろうか?
無論違う。

手には釘を打たれて穴が開いていたし、
わき腹は槍をさされたので傷跡が残っていて、
それらを見せたかったからだ。
つまり、「偽者じゃなくて、本当に三日前に死んだわたしだよ!
本当にわたしが生き返ったのだよ!」という証明をしたわけだ。

これが、
「平和がある」 とイエスには言うことができた一つ目の理由だ。

外の世界には危険がある。
命すら危うい場所。
命が脅かされる時に平和はない。
人によっては、諦めるということはあるかもしれないが、
諦めと平和・平安は全く違うものだ。

命はその人のこの世界での存在を支えるもの。
命がなくなれば、この世界にいることはできない。
この世界での可能性を失ってしまうのだ。(*注4)
自分の存在がなくなることに対して人は平和を持てない。
自分に対して諦めることはできるかもしれないが、
それは平和とは言わない。
むしろ、自分の存在を諦めてしまうのだから、
死んでいるのと変わりない。(*注5)

しかし、それでもイエスには「平和」ということができた。
なぜなら、一度死んだのに、今、たった今、
目の前に生きているから。今、ここにいるから。
死んで終わりではなく、その先に命がある
ということの証拠がイエスだったからだ。

死んだら終わり?
その存在は全てなかったものになるの?
いや、違う、イエスは、永遠の存在がある
ということを生き返ってあらわれることで示したのだった。

さらに付け加えるならば、
世界には命の危険があふれている。
死があふれている。
それは肉体的な死だけではない。
自分を価値のない存在として
失ってしまうことも多々ある。
諦めてしまうことがある。
しかし、その危険はもはや危険ではない。
死はもはや意味を持たないものとなった
と、イエスは身をもって示しに来たのだ。(*注6)

イエスが、人間の命の保証となる。
人間の存在の保証となる。
彼が生き返って生きていると信じるならば、
わたしたちも生き返って生きるものになる。(*注7)

イエスは同じヨハネの福音書の中でこうも言っている。
11章25節。


わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

これは、そういう意味なのだ。

もう一つ他の聖書箇所も参照してみる。
第一コリント15章。

もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

まんまだけど、聖書が伝えている復活が嘘だったら、
聖書の信仰はむなしいものだ。
が、キリストが確かに生き返ったならば、
むなしくない。哀れでもない。
むしろ、一番最低のラインでも永遠の命を保証されている、
最高に嬉しい存在だと言えるのだ。
神の恵みは他にも色々と(それこそ無限に)あるけれど、
一番基本的な所で、我々の存在を、命を、
まず保証してくれているのである。
これが平和があなたがたにある、ということなのだ。
存在の保証。

たとえば、戦争は分かりやすい個々人の存在否定だ。
二重の意味で。

まず個人としての存在を概念的に否定する。
何かの目的や対象が個人より優先されるので、
結果度々その存在が否定されうる。
個々人が自分を諦めさせられるわけだ。

また、命を奪うということはその人の存在を削り取ることで、
また可能性をゼロにすることだ。
もちろん今見てきたとおり、クリスチャンにとって、
この世界における命のみが重要ではないけれど、
個々人の存在に神が命をかけた、というのが信仰である以上、
この地においても、戦争により命を削り取りあうこと、
それには同意できないはずだと僕は思うのだ。

*注1…以後、注記のない限りは新共同訳聖書を使っています。
*注2…クリスチャンでない人は違和感を覚えたかも知れませんが、僕を含めクリスチャンは復活を普通に信じています。
そういうもんなんだあ、という認識で読み進めてください。というかその認識(信仰)に基づいて以後の話が続いていくのでご注目ください。
*注3…ギリシア語で、「エイレーネー(平和)・フミーン(あなたがたに)」。
*注4…殺人はその人の可能性を奪うこと、ということが前述の高柳さんの本にも書かれてありました。激しく同意。
*注5…少し飛躍かもしれませんが、概念的に。
*注6…この辺は死の考察の辺りも参照ください。
*注7…繰り返しますが、そういう信仰です。これは概念的な物ではありません。
普通に信じているわけです。それが信仰です。後述の第一コリントも参照ください。

つぎのページへ続く…。



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